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サービスの受給過剰としてのFacebook疲れ

経済 インターネット 社会

twitterfacebookの違いはなんだろうと考えていて,ふと「Facebookにはサービス精神が足りないんじゃないか」と思いました.twitterには,面白いことを言おうという風潮が,少なくともfacebookよりはあります.facebookで投稿されている事は,正直に言って面白くもなんともない事がほとんどです.お前が何をしたかなんて事が面白い訳ないだろと思うわけです.その人に恋してるなら別ですが.そういう投稿に対して「いいね!」を付ける.facebookは大体そういう場なわけです.

 

でもそれ自体が悪いとは言えないと私は思います.例えば私が凄く面白い話をしたとする.それに「いいね!」が付くとする.それは,その話に価値があるからです.その話そのものに価値があるという事は,逆に考えると,私以外の誰がその話を提供しても,受け取る側にとっては変わらない事なわけです.そうした場合の「いいね!」は,私の人格への称賛と言えないのではないでしょうか.そう考えると,実は「何の価値も無い話をする」ことに「いいね!」をする事によってのみ,「人格そのもの」を好きであるという表明をすることが出来るわけです.そして,人間はある程度その要素が無いと生きていけないのだと感じます.ですから,そういうことをするのも悪くはないのだと思います.(この話も掘り下げたいのですが,今回の本題ではないのでこのぐらいにします)

 

しかし,実際のところ「Facebook疲れ」なんていう言葉を聞くぐらい,コミュニケーションにおけるストレスを私達は感じているわけです.で,その理由が「サービス精神が足らない」ということなのではないか,厳密に言うとタイトルに書いたように「サービスの受給過剰」にあるのではないか,というのが今回のお話です.

 

 


 

「サービス」とはなんでしょうか.これを「人を喜ばせたり,人の苦しみを軽減したりするもの」ととりあえずしておきましょう.Facebookの意味無し投稿は人を喜ばせるものではありませんが,「いいね!」をする事は人を喜ばせます.サービスを提供したのは「いいね!」をした人で,元記事を書いた人はサービスを受け取った人です.

 

ここで,提供する側が価値を生んでいて,受け取る側は何もしてないように見えるかもしれませんが,サービスは受け取る側が拒絶すると成立しないものでもあります.Facebookでは拒絶出来ない代わりに,受け取れない事については書かない事になっています.それが「いいね!」があって「死ねや!」が無い事の意味です.ですから,実は元記事を書いた人は「あげたい人からもらってあげた」とも言えます.「あげたい」ことと「もらいたい」ことが釣り合っているうちは「もらうばかり」であっても,悪い事ではないのです.

 

しかし,供給と受給が釣り合っていない場合はストレスが溜まります.サービスをお金で買う事もありますが,これは供給と受給に差がある状態,つまり,片方の欲求が大きくなってバランスが崩れて,その差をお金によって埋め合わせなくてはいけない状況と考える事が出来るでしょう.それ以外の場ではお金が絡まないので見えにくいだけで,私たちのする事は大体サービスです.普段人と会話する事でさえ,お互いの幸福に大きく寄与する「サービスの交換」なのです.

 

バランスが崩れる例として,私はプレゼントを受け取るのが苦手です.それを受け取ったとき,何かお返しをしなくてはいけないような気になります(しろよ,ってか).それは,サービスの供給と受給のバランスが崩れた状態と捉える事が出来ると思います.誕生日を祝われるのも苦手ですが,それも同じ事でしょう.

 

また,何はなくともプレゼントのような事をしたいと思っている人も居るという実感があります.そういう人は「あげたい」のです.人の欲求は「もらいたい」だけではないのです.私も,何かモノをあげたりは全然しませんが,こうしてわざわざ時間をかけて文章を書いて「教えてあげたい」と思ってたりするのです.それは自分勝手な欲求だとも思います.それと「プレゼントをあげたい」ということは,そんなに違わないでしょう.

 

『プレゼントって暴力だから あげるのも もらうのも 僕は苦手だな』というセリフが「ぼくだけが知っている」という私の好きな漫画で出てきます.まさに,とは思ったのですが,小学生のキャラクターが言うにしては賢過ぎだとも思います(^^;).

 

人を褒めるということにも,同じような事を感じます.人を褒め過ぎると,それを受け取れない時,相手は離れていってしまうのです.男女の関係でもそうでしょう.お互いの想いが釣り合っている時に人間関係は上手く行きます.片方だけではだめなのです.私なんかは人の好意を受け取るのが苦手だという意識があって,上手に好意を受け取れる人を見ると,それも一つの能力だなと感じます.

 

 


 

というわけで,タイトルに書いたように「Facebook疲れ」の正体は「サービスの受給過剰」なのではないかと考えたわけです.「いいね!」をあげたい人に比べて,もらいたい人が増え過ぎたのではないでしょうか.そういう人が増えたのか,意識が変化したのか分かりませんが.

 

このような構図が発生する理由はよく分かりませんが,これも「いいね!」があって「死ねや!」がないことによるのかもしれません.負の装置がないので健全な収支にならないというか.あるいは「あげる」じゃなくて「もらう」が行動として先に来るという方式によるものなのかもしれません.

 

また,受給過剰なら,供給する人の価値が相対的に上がるという予測から,自分が何か供給するのはチャンスかもしれません.ま,別にそう思ってこの文章を書いている訳じゃあありませんけどね.