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効率化するという事は、あまり起きないことを無視する事だ

効率化するという事は、あまり起きないことを無視する事だ。

 

もう少し穏やかに言うと、良く起きる事とあまり起きない事が何かを調べて、良く起きることに特化させてあまり起きないことを軽視する事だ。

 

それはつまり、効率化するという事は軽視する部分が現れるということだ。それが「効率化にはリスクがある」ということである。そして我々は効率化を求められるがために、リスクだらけの世界を生きることになったのではないかと感じる。

 


 

この事は情報圧縮の話としては分かりやすい。例えばモールス信号では、Eに「・」とTに「-」とそれぞれ一文字の符号が割り当てられているが、これは英語におけるEとTの出現頻度が高いことに基づいている。最大は四文字で、例えばQは「--・-」だ。良く使うものを表す符号は短くしておくことで、伝えたい文章を送る時の全体の符号の長さを短く出来る。これがまさに効率化である。その代わり、あまり出てこない文字ばかり使う文を送りたい場合は、全ての語に同じ長さの符号を用いている状態より記述が長くなってしまう。これが効率化によるリスクである。(モールス信号でそうなるかは知らない。ならないかもしれないが一般的な話として流して欲しい)

 

この話を一般に適用して考えてみる。一般に「業務の効率化」と呼ばれている物は、大体この法則に当てはまっているのではないか。「マニュアル人間」という言葉がある。良く有るパターンへの対処法さえ学んだだけで、とりあえず仕事を進める事が出来るが、イレギュラーな事態については何もする事が出来ない人を指す言葉だ。しかしどんな事態でも対処できる人間などそんな簡単に育てられるわけがない訳で、例えばバイトを全てそんな労力をかけた人員にしてから配置する訳にはいかない。マニュアル人間で良い所はマニュアル人間に任せるのが効率化というものである。そこにリスクがあるのは言うまでもない。

 


 

我々が良くないことだと思っている事が、実は効率化と捉えられるケースも多い。例えば、人間の筋肉は使わないと衰えていくが、猫は運動していなくても衰えないようである。これは、人間がより優れた方式として、筋肉を衰えさせてエネルギー消費を抑えるという「効率化」システムを搭載しているからだと考えられる。

 

他にも、大人になると可聴周波数領域が狭まって行く(モスキートノイズが聴こえなくなる)のは、やはりそれが必要ないと判断(体が勝手に)して衰えて行くのだろう。また、それは必ずしもネガティブな作用ではなく、狭い領域内での音の判別能力は上昇して行くという話も聴いた事がある。

 

マナティーという、人魚のモデルにもなった海のほ乳類がいる。マナティーの歯は生きてる間中、新しく作られ続け、ベルトコンベアーのように奥から前へと移動する形で生え換わっていくらしい。それに比べ、人間は一生で一度生え換わるだけである。マナティーが羨ましいとも言えるが、それを実現するためにはもっともっとカルシウムを摂取する必要があるとも言える。人間よりマナティーの方が歯の削れて減る量が少ないから、栄養との兼ね合いのギリギリの判断で、一度だけ入れ替われば良い事にしたのだろう。ただし人間にとってはそれが、火を使う食べ方への変化や、急に伸びた寿命に対応しきれていないという事なのだろう。「人間50年」という織田信長の言うような寿命だったら、ちょうどいいぐらいだったのではないか。

 

この発想の元にあるのは「エネルギーは有限だ」という考えである。要するに、何かが良くなるためには、何かを犠牲にするしかないということである。もちろん、メタ能力を鍛えるなどして、見かけ上この問題をクリアしていく事は可能であると思う。しかし、有限なものは有限なままだという態度はそれはそれで大切なのだと思う。

 


 

激しい競争にさらされると、効率化を強いられる。そこには必ずリスクの増加がある。もちろん、リスクがあってはいけないという事ではない。確率を考えて、プラスとマイナスの合計の期待値が上回るようにするのが効率化である。よく成功者が言う「リスクをとれ」という言葉は、おそらくこの意味での効率化をしろということを指している(本人達も分かっていないのではないかと思ったりもするが)。しかし実際の所、「滅多に起きない」を「たまには起きる」ではなく、「起きない」と思ってやってしまっているものを効率化と呼んでいる事が多いのではないだろうか。その一つの象徴が原発だ。

 

そういう観点から、我々が「効率化」と呼んでいる事を、もう少し慎重に見直すべきだと思う。私としては「我々がコンピュータを使って仕事をしている」という事が生み出す効率化とリスクに興味を持っている。コンピュータを使って効率的な作業を出来るようにするために、我々が負ってしまっているリスクはなんなのかということだ。その話はまた別の機会にしたいと思う。