ドレスコードのある店は客の代わりに店が差別をしている

子供の頃は分からなかった、ドレスコードというものについて。

 

子供の頃、ちゃんとした服装をしていないと入れない店というのは、漫画の中でしか知りませんでした。そしてそういう店が出て来る話ではいつも「服装で人を差別する悪い店が反省する」というお話になっていたので、私は「そうか服装で人を差別する店は悪い店なんだな」と思っていました。そしてそれが転じて、私自身も、別にどんな服装で店に行こうが恥じることはない、というような気持ちを持つようになっていました。

 

しかし、お店にだってドレスコードを指定しているのにはそれなりに理由があるわけで、ただ馬鹿で差別主義者だからではないわけですね。当たり前ですけど。その当たり前のことが長く分からなかったなあと思うのでわざわざこうして書いているのですが。

 

ではその理由は何かということなんですが、お店がドレスコードを指定するのは、お客に「特別な体験」を売りたいからで、そこに服装がちゃんとしていない人が混ざると、その体験の価値が壊れてしまうからなんですね。

 

「よーし今日は奮発して良い店に行ってリッチな気分を味わおう!」と思って出かけた人達にとって、みすぼらしい人達が同じ店にいると、彼らがいくらお金を払っていたとしても、「ああ、奮発したのにあの人達と同じなのか…」という気持ちになって、体験に満足できなくなってしまう。それを防ぐために、店はドレスコードを設けるわけですね。

 

まあそれって結局差別といえば差別なんですけど、本当に差別しているのはみすぼらしい人を見て幻滅するお客さんであって、店はお客さんの代わりに「きちんと差別してあげる」ことによって、体験の価値を守っているのだということです。

 

同様に、会員制の店というのも、店の主人が変な人を入会させずはじいてくれるので、その空間に変な人が来ない、ということに価値があるわけですね。これは、「お金だけが判断基準ではない」世界を作り出していることになるわけです。これが「お金以外に価値を置いているからステキ」なのか、「成金に厳しくせっかく人生で成功したと思ったら既得権益者につまはじきにされる」なのか、まあその両面があるということですね。

 

まあ私はそんな世界には基本的に縁がないわけですが、自分の教訓としては、自分がちゃんとした服装をするのは、自分のためではなくて、他のお客さんのためなんだな、ということでした。そしてそれはもしかすると、お店だけではなく、普段接する人に対しても意識するべきことなのかもしれません。