明日死ぬなら和解がしたい

北朝鮮アメリカのこともあって、物騒な状況だと思うんです。そういう「いつ死んでもおかしくない」という状況になった時に私が考えるのは、「明日死ぬとしたら何をしようか」ということです。


私はあまり我慢せず生きているので、基本的にそんなに悔いはありません。普段からやりたいことをやっているつもりです。例えば連休があったとしても、私は旅行になんて出かけたりはしません。そんなことは私のやりたいことではないからです。私のやりたいことは、ゲームをしたり、ピアノを弾いたり、本を読んだり、自分の考えをまとめたり(研究もこれに入るかなあ)、友達に会って話したりすることです。そのどれも普段やっていることです。


ですから、明日死ぬとしても、大体いつもやっていることをやっていればいいと思うのですが、それでも、この機会ならではの、死ぬまでにやっておきたいことというのはあります。それは「わだかまりが残っている人と和解すること」です。


でも、わだかまりを解消するのって、言い出す勇気とか度胸とかがあればいいってもんじゃないと思うんですよね。相手ありきの事だから。もし自分が謝って解決するぐらいなら、それ(謝罪)ぐらいわだかまりが発生した時点でやってたわけです。というか別に当時謝ってないわけでもないわけです。


なぜそう言うかというと、私は昔はそういうことが分からかったからです。というか実際に謝りたくなった人に突然連絡して謝ったりしたこともありました。でもそれって、自分がスッキリしたいだけで、相手が受け入れられるかどうかなんてお構いなしだったんだなっていう反省をしています。相手にしてみれば、そのわだかまりを解消する権利をなぜお前が持ってると思うんだ、という感じだったんだろうなあと思います。


そうして今晩も私は「明日死ぬかもしれないから和解しない?」というメッセージを送らずに眠るのでした。