個性は尊重することに価値がある

突然ですが、私は女性の生足を見ると性欲が高まります。では、女性の生足が好きか?というと、それはちょっと微妙な問題です。性欲を開放して良い状況でならもちろん好きですが、性欲を開放してはいけない状況で生足を見せられると、性欲が行き場所に困るからです。要するに、街中で見せられると、どちらかというと困ります。

 

でも、別に生足に限らないんですが、なんらかの格好をしている女性は、別に私の性欲を高めて危険な状態にするためにやってるわけじゃなくて、その格好がしたいからやってるわけじゃないですか。それを、私が困るからという理由でやめさせるのは横暴だと思うんですね。だから、私の方で何とか対処して、その格好をしてもいい世界を維持した方が良いかなと思うのです。

 

だから私の方でも、街中で生足を見るという事を楽しめるように自分を変えちゃえば、私も楽しいし、女性も好きな格好が出来て、Win-Winなんだろうなと思うんです。できれば「ナイスセクシー!」「イエァ!サンキュー!」みたいなやり取りが許されるようになるとなおいいですね。逆に、見て楽しんでたら「うわっ見てる、キモ!」とか言われるとなるなら、さすがの私も「そりゃ横暴じゃねえかよ!こっちゃ我慢してんだよ!」ってキレると思います。

 


 

「個性を尊重せよ」という言葉が、要請があります。現代の我々がしつこく言われる言葉です。私は、個性を尊重するという事はとても尊いことだと思っています。しかし逆に言うと、当たり前のことだとは思っていないのです。個性を尊重するという事は難しく、それゆえそれをすることが大変に価値があると思っています。したがって、「自分の個性を相手に認めさせること」を、「相手に大きな価値を払わせる」ことだと認識しています。それはちっとも尊いことだとは思っていません。

 

「相手の個性を尊重する」ということは、「自分の個性を制限する」ということです。それでもなお、相手の個性を尊重するから、個性を尊重することには価値があるのではないでしょうか。強制的に個性を尊重させられるのは、我慢させられるということです。しかし、いちいち我慢していると思わないために、自分の意志で自分を変えることが尊いのではないでしょうか。

 

よりよい社会を目指して、私は街中で見る生足を喜べる人間に、自分を変えていくのです。それでも個人的には、普段はロングスカートを履いている女性が好きというのは、あまり変わらないと思います。