「科学リテラシー」は史上最強に難しい

マンガアプリで一話ずつ「史上最強の弟子ケンイチ」を読んでいたら、こんなセリフが出てきました。 
主人公のケンイチ「僕は別に史上最強になることなんか興味はないですよ。大切な人を守るぐらいの力があればいい。できれば襲ってくる相手を傷つけずに。」 
師匠「分かってないな。『相手をぶっ殺す』なんてのは実はそんなに大変じゃない。大切な人を、襲ってくる相手を傷つけず守るのにこそ、史上最強クラスの強さが必要なんだ」 
なるほど、そうかもしれないな、と思いました。
 
そして、私がそれで連想したのは、「科学リテラシー」というのも、そういうものかもしれない、ということです。 
我々は、例えばデマに惑わされないように、非専門家の「大衆」にも「科学リテラシー」があって欲しいと思っていると思います。それを持っていない人に対して「義務教育の敗北」なんて言ったりするのをよく見かけますよね。 
しかし、インターネットを見ていると、専門家と呼ばれる人が学問的にはいい加減なことを言っているのを多々見かけます(もちろん私含め)。専門家には意外に「科学リテラシー」がないわけです。直感的には、そういう人達は当然のように「科学リテラシー」を持っているはずであり、さらにもっと凄い専門的知識を持っているのだろうと想像するので、専門家に「科学リテラシー」が無いことは奇妙に感じると思います。 
このことを私も不思議に思っていたのですが、「最先端の論文を一つ出すことより、科学リテラシーを持つ事の方が難しい」と考えると、それは自明のことなのかも、と思えてきました。何せ「科学リテラシー」が要求する範囲というのは物凄く広いですからね。誰にだってどこかでは取りこぼしはあるものです。「何が出来る」で人を見るか「何が出来ない」かで人を見るかの違いみたいなもので、何の欠点もない人がいないように、「科学リテラシー」が完璧な人というのは基本的に存在しないのでしょう。
 
それが分かったからどうなんだ、と言われると、まあそんなに建設的な話があるわけではないのですが、私としては、相手に「科学リテラシーがない」と感じたときでも「まあ自分も大差ないかもな」と思える余裕があるといいんじゃないかな、とは思っています。