幸せな思い出を作ると幸せになる

幸せを効率的に得るには、楽しい思い出を作るのが有効ではないでしょうかというお話。
結構前にこんなことを考えました。私はどうも思い出し笑いをしていることが多い。思い出し笑いをしているときは幸せである。そこで、思い出し笑いをすることを幸せになる方法だと考えてみると、思い出し笑いのネタをたくさんストックしておいて、それを順番に繰り返し思い出すことができれば、ずっと幸せで居られるのではないだろうか。
これを考えたときは冗談で言っていたのですが、最近ふと、これは結構本質を突いているのかもしれない、と思い直しました。
逆に不幸な人とはどんな人なのかと思い描いてみると、私の中では「何かの話に対してすぐキレる人」というのが浮かびました。ここで「その人が何故キレるのか」と考えてみると、おそらく、その瞬間発生した事象と類似する、過去の嫌な思い出が蘇ってしまって、今起きていることがそれに関連するものだと認識して、不幸な気持ちになってしまうのだと思うのですね。つまりそれは、言わば「思い出し怒り」とか「思い出し悲しみ」だと思われるのです。
先ほどの「幸福になるための思い出し笑い方式」を実際にそれをやろうとするとどこが問題になるかと言うと、「それを順番に繰り返し思い出すことができれば」の部分です。我々は、今起きている何かのイベントをトリガーとして過去を思い出すので、思い出すことを自由に選ぶことが出来ません(ある程度は訓練で出来る気もしますが)。したがって、今起きたイベントが不幸な思い出に結びついていたら、不幸が再現される。しかし、今起きたイベントが幸福な思い出に結びついていたら、ちゃんと幸福が再現されるのです。
ということはどういうことか。我々は「楽しい思い出」を積み重ねることで、日常で起きることを「楽しいことに関連するものだ」と認識する機会が増えていき、思い出し笑い(思い出し幸福)が増えていくことで、結果として幸せになれるということだと思うのです。これは言い方を変えると、性格とはまさに記憶が作っているということでもあるだろうと思います。
私は学生時代とかに「思い出づくりに〇〇をしよう」というような話になんとなく乗っかれないタイプの人間だったのですが、あれはやっぱり意味があったのではないかと思うのです。私は「幸せな状態だったら勝手に幸せを感じるんだから、無理に感じようとするなんてまがいものだろう」というようなことを思っていたのですが、今にして思えば、自力で自分を幸せにしようとする人の方が、他人任せでなくてずっと大人だったのかもしれません。
今、楽しいと思えることをすること、楽しいと思えるイベントを作ること、そういうことが未来も幸せにしてくれる、かもね、というお話でした。