私はBUMP OF CHICKENの「ray」という曲が前から好きだったのですが、最近の映画である「超かぐや姫」で劇中歌として取り上げられたことで、にわかに多くの人の注目を集めているようです。私は「超かぐや姫」の方は見ていないので特に感想はないのですが、名曲だと思っていたrayを多くの人が聴くきっかけを作ってくれたということで嬉しく思っています。
rayは、もともとBUMP OF CHICKENと初音ミクのコラボ曲として登場したという意味でも話題性のある曲でした。しかし私はその時はあまりその話題に興味を持てずに聞き流していたのですが、あとになって聴き直して、あまりの歌詞の素晴らしさに驚愕したのでした。本当にこの歌詞は、私が知っている「詩」の中で最上級のものだと思っています。国語の教科書に載せても良いんじゃないでしょうか。私が中学校の先生だったら歌詞の解釈を考える授業をやると思います。
さて、rayの歌詞は、それ単体でも素晴らしいものですが、私の見るところBUMPの代表曲である「天体観測」のアンサーソングという形になっています。そのことについて指摘している人を私以外に見かけないので、いっちょまとめてみるか、というとこで筆をとった次第です。ちなみに、そういう観点で見直すと天体観測の方にも発見があって、解像度が上がった気がしました。
rayと天体観測の関連を見ていく前に、一旦rayの歌詞を概観していきましょう。本当は歌詞を全部解説したいぐらいの勢いなのですが、それをやると引用の範囲を越えてしまうので、要点に絞って見ていきます。
一聴して、皆が一番「おっ!」と引っかかる(フックを感じる)歌詞は、ここでしょう。
"寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから"
この曲は「君」との「お別れ」がスタートになっています。それは悲しいことなのだけど、悲しみに囚われ続けているわけにもいかないので「かかとすり減らした」、つまり、ひとまず前を向いて自分の人生を「歩いて」いたのでした。そんな話の中で出てくるこのフレーズは、見かけ上は矛盾しているのですが、それゆえ力強く我々に刺さってきます。
これは私もよく体験するし、皆さんにもあることなのではないかと思うのですが、何か世の中で悲しいとされることが起きたときに、周りに大泣きしている人がいるのに、自分は泣いていないという状況になって「私は何か人としての心が欠けているのではないだろうか?」と不安になることがないでしょうか。例えばお葬式に出ているときにそうなったとしたら「私はこの亡くなった人のことを大事に思っていなかったのではないだろうか?」と思わないでしょうか。この歌詞が言っていることは、そういう不安を当然のように持っている自分が「この件に関しては、悲しむことが出来た」、つまり「君を大事に思っていたと確信できる」と安堵したという話なのです。
最近の作品の話題に関連させて言うと「葬送のフリーレン」という漫画の第一話はそのようなテーマを扱っています。長命のエルフであるフリーレンは、一緒に魔王を倒す冒険をした人間の勇者ヒンメルが亡くなったときに、お葬式で泣くことが出来なかった。そのことでフリーレンは、自分はヒンメルを大事に思っていなかったのかもしれない、ということについて泣くのです。ちょうどrayとは逆のことが起きてはいますが、しかし扱っているテーマは同じというわけです。
ここが分かればrayのテーマはほぼ掴めたも同然です。「大丈夫だ あの痛みは忘れたって消えやしない」というのもほぼ同じ事を言っていると考えていいでしょう。つまり、大事に思っていたからこそその喪失は「痛い」のであり、その痛みをずっと感じるわけではないけれど、今の自分を形作るものになっているから、消えてないから「大丈夫だ」ということです。そして「悲しい光(=ray)」が影という形で自分の歩く道を示すことを述べ、最後に「この光(=ray)の始まりには君がいる」と、君との思い出があるから自分の進むべき道を歩いていける、という内容でこの曲は締められています。
さて、こうした視点さえ手に入れられれば歌詞の大部分は読み解いていけるのではないかと思うのですが、しかしrayの歌詞にはそれだけでは解読できない部分が残されています。そこで重要となるキーワードが「彗星」です。そしてこれこそが、天体観測とrayを結びつけるキーワードだというわけです。なぜなら天体観測は、彗星と同じ意味の「ほうき星」を探す歌だからです。
rayの中での「彗星」への言及部分を見てみましょう。
"君といた時は見えた 今は見えなくなった
透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探している""あの透明な彗星は 透明だから無くならない"
この歌詞だけから「彗星」が何を意味しているのかを読み解くのは困難でしょう。
では改めて、天体観測の「ほうき星」への言及部分として1番サビを見てみます。
"見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ"
"明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた"
こうして見比べてみると、関連は明らかだと思います。まず、天体観測の方から分かるように、ここで言及されているほうき星というのは、本当に夜空に光るほうき星のことではなくて、「見えないモノ」や「今というほうき星」というような、観念的なものなのです。そしてその観念的なほうき星を君と二人で見ようとしていた。それを踏まえてrayの方の歌詞に戻ってみると「透明な彗星」というのがまさに、本物の彗星ではなく、観念的なほうき星と対応していることが分かるわけです。
ではそのほうき星はどのようなものであるかというのは天体観測の歌詞の他の部分を見るともう少しクリアになりますが、ここからでも大体のことは分かります。ここで「明日が僕らを呼んだって返事もろくにしなかった」というフレーズがあります。これは、「将来の不安のようなものがあったとしても、それを忘れることが出来ていた」と読むことが可能でしょう。それは少し言い過ぎにしても、その次に来るのは「今というほうき星」なのだから、「今この瞬間だけは明日のことを忘れられた」という意味だとは言えると思います。そしてそれは君と二人でいたから、ということになります。この内容もまさしく、rayの歌詞と一致しています。君と一緒に居たときは見えた「今というほうき星」が今は見えなくなった、という話をしているのですから。
しかし「でもそれだけ探している」とあるように、その彗星をまだ探しているのですね。この部分はrayの冒頭であって、ストーリーの序盤です。この時点ではまだ自分を過去から照らす光(=ray)は見ないようにしていて、それに少しずつ気づいていくという流れなのです。「あの透明な彗星は 透明だから無くならない」というのは後半に出てくる歌詞で、この時点ではもうそれに気づいているということです。
rayの中でストーリーが進行している点に触れましたが、では天体観測というのはどういうストーリーだったでしょうか。改めて歌詞を確認すると、実は天体観測の中でもストーリーが進行していることが分かります。最初は「今というほうき星」を「君と二人追いかけていた」だったのですが、途中から「今も一人追いかけている」になっていて、「君」はどこかへ行ってしまっているのです。しかし最後はまた「君と二人追いかけている」になっています。これは最後には本当に君に再開できたというわけではないですよね。「二分後に君が来なくとも」「君と二人追いかけている」のだから。なんらかの原因で「君」を喪失するということが起きた。しかし「君と一緒に居たときの感覚」を思い起こすことで、それによって「今というほうき星」を見ているということだと思います。
さてここで、「君」を喪失したという前提で歌詞を見直すと、喪失の予兆と解釈できる部分があります。
"深い闇に飲まれないように 精一杯だった 君の震える手を握ろうとした あの日は"
"予報ハズレの雨に打たれて 泣き出しそうな 君の震える手を握れなかった あの日を"
これを見ると「君」はなんらかの不安や困難を感じていますよね。そして「僕」は「君」を励まそうとしていたわけです。しかし、結果的にそれは失敗し、「君」を喪失することになった。それが天体観測とrayに共通する「痛み」ということになるでしょう。
歌詞の解釈としてはその「なんらかの不安や困難」を具体化する必要はないのですが、私の個人的な体験に寄せて考えると、これは希死念慮(自殺したいという気持ち)だと考えるとしっくり来ます。というのも、私はこれまで多くの希死念慮を持つ鬱病の友人の面倒を見てきたという経験があるのです。そうしたケースの多くでは「頭では死にたくないと思っているのに、身体は死を選びたがっている」というような、本人の中での戦いが起きているように見えていました。それが「深い闇に飲まれないように精一杯だった」という表現と合っている気がするのです。そうした人達の中には持ち直した人もいれば、本当に自殺してしまった人もいますが、そうした中で、その人が異性であるがゆえに踏み込んだ対応ができなかったケースや、逆に覚悟を決めて踏み込んだのに拒絶されてしまったケースなど、様々な「痛み」を経験してきました。そうした経験は非常に重いものですが、しかしそれと折り合いを付けて生きていかねばならないという現実があるわけです。rayがそこに用意している答えは「ごまかして笑っていく」というもので、これは大人の対応というか、弱いようで強い答えだと思います。…とまあ色々書きましたが、最初に書いた通りここは具体化する必要はなくて、聞く人がその人の体験を埋め込めばいい部分ということではないでしょうか。
最後に「ほうき星」と「光」の関係について。天体観測には以下の歌詞があります。
"暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ"
これは「ほうき星」を探しているということですが、上記の話を踏まえますと「暗闇(=なんらかの不安や困難)」を抱えている人が、それを解消する手段を探しているとも読むことが出来ます。とすると、実は天体観測とは希望の光を探す行為だった…のかもしれません。
天体観測のときに探していた「光」は、二人で居ることで(何かに夢中になっていることで)不安を忘れられた、というようなことだった。しかし「君」を失ってしばらくして、君の存在そのものから、あるいは君との思い出から発せられる「光(=ray)」が残されていることに気付いた。これが天体観測とrayを繋ぐと見えてくる構図ではないかと思いますが、いかがでしょうか。


