多様性を減らすことで多様性を増やす

いまだに古いガラケーを使ってるんですが、3Gの電波が終わってしまうから買い換えろという案内が来ました。しょうがないなと思いながら、今度こそスマホにしようかと思ってカタログを見たところ、どれも同じにしか見えなくて、どうやって選んだら良いのかと途方に暮れています。
 
 
ところで、スマホじゃない方の携帯をガラケーと呼ぶようになったのは、「日本でガラパゴス的進化をした(世界標準からは離れている)」という揶揄が元になっているわけですが、個人的にはナチュラルに多様性を愛しているので、「ガラパゴス」という言葉には良いイメージしかなく、なんでそれが悪い事のように言われるのかよく分からないと思っていました。なので私は、みんな普段から「多様性が大事」とか言ってるのに、なんでガラパゴス化を非難するの??とかぶつくさ言っておりました。実際ガラケーの方が選ぶ楽しみがあったと思いませんか。
 
 
…という自分の疑問に、一部答えられる事に気がついたので、解説してみます。
 
 

 
“「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》”という本を読んでいたら、コンテナってのはすごい発明なんだ、というようなことが書いてありました。コンテナってのはあれです、輸送のための大きな箱です。あれの何が画期的だったかと言うと、規格を統一したことで、海での輸送に使ったコンテナを、そのまま陸上での輸送にも使えるようになったので、移し替えの手間が減って、輸送のコストを劇的に下げることができたんだそうです。
 
 
そして上記の本では、さらに興味深いことが指摘されていました。コンテナを採用して輸送のための箱の規格を統一することは、多様性を失わせることです。しかし、コンテナを採用すると輸送コストが下がるので、商品の流通は容易になり、結果的に流通する商品の多様性は向上した、というのです。
 
 
このことが意味するのは以下のことだと思われます。
 
 
「あるレイヤーでの多様性の減少は、他のレイヤーでの多様性を増加させることがある」
 
 
これは、見逃しがちな視点ではないでしょうか。我々はつい、多様性はそれ自体さらなる多様性を生むもの、みたいに考えがちだと思うのですが、現実はそうとは限らないみたいです。
 
 
そして、このコンテナのケースでは、まさに人間にとって嬉しい形で多様性の減少が使われているのだと思うのですね。輸送のための箱にバリエーションがあろうがなかろうが、ほとんどの人にとってはどうでもいい。しかし、流通する商品のバリエーションが増えるのは、多くの人にとって大変嬉しい。
 
 
ですから、他のケースにおいても、単に多様性がある方が良いとか無いほうが良いといった議論をするのではなくて、増えたら嬉しい多様性というのは何なのかを考えて、そのためならこの多様性は小さくなっても良い、といった議論をするべきなのだと考えることができます。
 
 

 
以上を踏まえて、スマホが多様性を失ったことで何の多様性が上がったのか?と考えてみると、おそらく、どのスマホでも同じ操作が出来るというメリットによって、アプリの多様性が上がっているのだと思われます。順番としては、アプリを作った時にそれを利用可能なユーザーが多くなるので、作る側のメリットが大きくなるので、作る人が多くなる、したがってアプリが増える、というようなことでしょう。
 
 
ここで「そうかー、アプリが多様になる方が便利になるもんな、それに比べればデバイスの多様性は優先順位低いか」と一旦は思ったんですが、でもやっぱり、デバイス自体の多様性ももう少し優先されてもいいような気もしました。コンテナは、消費者が触れるものではないので見た目はどうでもいいですけど、手に持つものであるスマートフォンは、身につけるアイテムとしての価値をもっと主張したいもののような気がします。
 
 
それがそうなってないのは…。なんでなんでしょう?今ちょっと考えてみた限りでは、「アプリを使うというより映像コンテンツの視聴に利用する人が増えてそれ用の画面としての優先度が上がった」とか「デコればいいという考えが広まったし、どうせケースに入れるからガワはどうでもいい」といったものが浮かびました。どれぐらい説得力があるかはよく分かりません。
 
 
まあともかく、「あるレイヤーでの多様性の減少は、他のレイヤーでの多様性を増加させることがある」という話が思考のヒントとして面白いと思うので、是非ともおすそ分けしたいと思ってこんな話をしたということでした。
 
 

  (参考)