今日のtwitter

抜粋

  • 01:33  父親からのメールの冒頭「お子さまがた、」

全文

  • 01:33  父親からのメールの冒頭「お子さまがた、」
  • 04:32  音楽って言うか、芸術なんていうのは、別に自分が触れておかしいと思うならおかしいと思えばいいのです。芸術において理論として正しいなんてのは価値を高める要素ではありません。しかしそれは理論に価値がないという意味では全くありません。実際に創作の助けとして役立つのですから。
  • 04:46  現実と理論が対立した場合、理論が間違っているのです。そして、芸術における正解とは、自分の心が感じた事です。
  • 04:54  「不協和音」という言葉の使われ方には頭を抱えている人が多いのではないか。
  • 05:12  @dosannpinn 遅れに遅れているのでやっつけ感がありますがなんとか返事書いてみました。また直せたら直して報告します(苦笑)。 http://d.hatena.ne.jp/suck_a_sage/20100403/1270269908  [in reply to dosannpinn]
  • 15:40  @dosannpinn コメント読みました。伝わったようで何よりです。  [in reply to dosannpinn]
  • 17:22  @dosannpinn いえいえこちらこそありがとうございました。ところでそれはまさにツイッター(や、はてブ)の抱える問題だと思っていて、今私が熱心に考えているテーマでもあります→文脈の弱い情報と多様な解釈(と過剰な共感や反発)。そのうちなんか書けるといいんですけど。  [in reply to dosannpinn]
  • 17:54  「神みたいな居るか居ないか証明できないものを信じるなんて馬鹿げている」という論は的外れです。神はその存在を確かめられないからこそ、「信じる」ことに意味が発生するのです。自分が信じる限り神は自分の中に居るのです。それは一神教の神でも八百万の神でも同じ事です。

Powered by twtr2src