作曲と編曲と演奏
ganchanの曲とかVUTTER君の曲とか、新入生が書き溜めたという曲集を聴いて考えた事なのですが。そして、研究にも多分に関係のある話。
ganchanのやってる事って、メロディーは他から借りてはいるから編曲ともいえるけど、見せたい部分はアレンジの手法そのものな訳で、ぶっちゃけメロディーは有名であれば何でもいいって感じですよね。
私もたまにアレンジとかしてますけど、あくまで原曲を再現するためのアレンジである事が多いです。例えば、結構上手く出来たと思ってるハヤテのごとく!のアレンジは「原曲の良さを表現したい」という気持ちで作りました。私のアレンジを聴いて良いと思ったら、原曲にも興味を持ってもらえるだろう、と思っています。
ganchanのは違いますよね?原曲が素晴らしいからganchanの作品が素晴らしいのではなく、ganchanの手法が凄いんだ、と聴いていても分かると思います。
一応解説しておくと、「原曲(の魅力)を再現する」ということは「音をできるだけ拾って、それをできるだけ鳴らす」というような事ではありません。楽器の特性には違いがありますから、ピアノでその曲の魅力はどうやったら表現できるのか、ということを考えなきゃいけません。ちなみに私は、そういうことを考えるのが好きです。
で、ganchanは「有名曲を題材にして、自分のアレンジ手法を見せる」っていう作品が多いので、自分で作曲したらどういうのが出来るのかは知らないんですけど、VUTTER君(id:batasan)なんかは編曲も作曲もやってますよね。VUTTER君は、正直な観想を言って、メロディーを作るのが得意な人ではないと思います。少なくとも私は、VUTTER君の作った曲のメロディーが頭から離れなくなったみたいな経験はあんまりありません。
VUTTER君の新曲「Chamber Rock」を聴いて思ったのは、「この曲の魅力は、音響的な部分だな」って事です。
和声、ともちょっと違って、ピアノという楽器から発揮される音響効果そのものが魅力なのかな、と思います。そして、「ピアノの音響の扱いが得意」という事は、そのまま「演奏が得意」という事にもなるのかもしれません。
VUTTER君のピアノ編曲は、基本的には、原曲を再現しようという方向性のが多いかと思います。「自分色に染め上げよう」って感じではないですよね。あ、東方アレンジアルバムなんかは自分のアレンジを聴かせる様な内容でしたけどね。
新入生のK君がくれたCDを聴いたところ、これはまさしくメロディーの曲ですね。全部MIDIの録音ですが、それでも良さの分かる曲が多いと思います。ただ、道端でぱっと聴いてみんなが立ち止まりたくなるような良さはあんまないと思います。酷い言い方をすれば「ジャズ風さ」が少なすぎる(笑)。
さて、全然まとまってないので、なんとなく分かった事を書いてみます。
- 編曲(アレンジ)と一口に言っても
- 原曲の魅力を伝えるための編曲
- 編曲手法を見せたいための編曲
があると。例えば、私はゴドフスキー編曲のショパンエチュードのCDを買ったときに、最初なんとなく物足りなく思ったんですけど、それは多分、「ショパンエチュードのもっと凄い奴が聴ける」と思って買ったCDが、ゴドフスキーの編曲手法を楽しむためのCDだったってこととかのせいです。そして、それを期待してしまっていたのは、よく聴いていたホロヴィッツ編曲が、割と原曲の魅力を伝える(さらに拡大する)ような編曲だったからのように思います。
ゲーム曲などでも、よくアレンジで「なんか期待と違った」っていう不満が聞かれます。そういう場合を考えても、今回提示した区分は、よく言われる「原曲重視」か、そうでないか、という区分より分かりやすいと思います。原曲からの変化量ではなく、アレンジの目的の違いなのだと思います。
では、それらの編曲能力は作曲能力とはどのように関係するのでしょうか。あるいは関係が有るのでしょうか?いわゆるJPOPのアレンジャーというのは本当にシンガーソングライターより良い曲が書けないのか、と疑問に思ったことはありませんか?作曲とはメロディーを作ること+編曲能力か、というと必ずしもそうではないですよね。
そしてメロディーを作るということ、つまり良いメロディーを考える、というのは何をすることなのでしょうか。
まあ、今日はこの辺で終りにします。