人が作った物を解析する事

  • ゲーム内の計算式などを推測したり実験で検証したりする楽しさは,科学実験の楽しさと行為としては変わりが無いのだが,絶望的に違うのは「正解が必ずあり,それを考えた人に聞けば分かるはずの事である」というところで….でも本人にとってそれが気にならなければ同じなのかもといつも考えてしまう. posted at 22:26:31
  • もしその計算式が,「みんなが喉から出るほど欲しい物」であるとすればどうだろう.素晴らしいバランスを実現する式なので,他のゲームでも使いたいから,それ自体に価値がある,とか.それを隠匿する意図が開発者にあれば,それを解析するのもまた楽しい気がする. posted at 22:33:47
  • 計算式に限らないが,大抵のビデオゲームでは,開発者はゲームを無限に難しく出来る.でもそうするとみんなが楽しめないから,開発者は「こんぐらいかなー」って調節する.それを,何かがおかしいと思うのである.将棋の敵AIを無限に難しく出来ないことと比べて考えてみたりする. posted at 22:40:49
  • 楽曲のアナリーゼとかでもそうかもしれない.(全然詳しくないけど)例えばバッハの曲だったら一音一音に意味(内的必然性と言っても良い)があるから,それを解析する事に意味があると思う.でも自分で作曲してみりゃ分かるが,そんな真面目に考えて作ってない.だから解析されても困る. posted at 22:42:58
  • ジョジョの単行本の作者のコメントの所に「こう書かざるを得ない重力を感じた」みたいな話がある.他の漫画家も「キャラが動いてくれる」とか言う.それは内的必然性の別の形だろう.ゲームの計算式も,そこに必然性があるか,ということを問いたい,ということかもしれない(今は結論なく書いてる). posted at 22:48:42
  • 素因数分解が掛け算に比べて難しいのは当たり前で,ゲームの解析というのはそういうものなところがある.我々は「問題があればつい解いてみたくなってしまう」ようであるが,それが意味のない問題でも,自分で問題を作って解いてれば無限に楽しめるものなのだろうか?というような問いである. posted at 22:59:35