授業「情報科学」の参考文献-第4部


キーワード:ネットワーク,検索エンジンソーシャルネットワーク,デジタル著作権罪刑法定主義

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☆自由か、さもなくば幸福か?: 二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う / 大屋雄裕
○人間にとって法とは何か / 橋爪大三郎
1984年 / ジョージ・オーウェル

☆ビットとアトムのはざまで - アンカテ
http://d.hatena.ne.jp/essa/20111105/p1
☆ネット世代の心の闇を探る | iwatamの個人サイト
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/kokoro/index.html

☆自由か、さもなくば幸福か?: 二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う / 大屋雄裕

○人間にとって法とは何か / 橋爪大三郎

人間にとって法とは何か (PHP新書)

人間にとって法とは何か (PHP新書)

1984年 / ジョージ・オーウェル

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

☆ビットとアトムのはざまで - アンカテ

http://d.hatena.ne.jp/essa/20111105/p1

☆ネット世代の心の闇を探る | iwatamの個人サイト

http://iwatam-server.sakura.ne.jp/kokoro/index.html

授業「情報科学」の参考文献-第3部

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本タイトル 著者
誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論 D. A. ノーマン
「分ける」こと「わかる」こと 坂本健三
構造主義進化論入門 池田清彦
分類という思想 池田清彦
デザインの教室 手を動かして学ぶデザイントレーニン 佐藤好彦
レイアウト、基本の「き」 佐藤直樹
超芸術トマソン 赤瀬川原平
「物」と「場所」の意味論―「大きい」とはどういうこと? 久島 茂

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論 |新曜社 | D. A. ノーマン|

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

アフォーダンスという概念を広く知らしめたのはこの本…の改訂前のもの。前の本ではシグニファイアは出てこなかったんだけど、色々とツッコミを受けて、シグニファイアの概念を導入することにしたそうだ。というわけで、読むなら是非この増補・改訂版を読みましょう。…ただし、私が授業で説明した、「情報の発信者がデザインに与える意図がシグニファイア」で「情報の受信者がデザインに感じる意図がアフォーダンス」という説明は、私が勝手に整理したものです!なので、この本を読んでも多分そうは書いてない。多分と言うのは、私が現在まだほとんど読んでないから分からないということなんだけど。そういう意味では、岡田の言ってる事が無茶苦茶なのか、岡田の整理の方がずっといいのか、判断するために読んでみてもいいかもね?

「分ける」こと「わかる」こと | 講談社学術文庫 | 坂本健三|

「分ける」こと「わかる」こと (講談社学術文庫)

「分ける」こと「わかる」こと (講談社学術文庫)

この本は、結論として以下の三つを挙げている。

1.分類は認識や行動のために人間がつくった枠組みであって,存在そのものの区別ではない。
2.分類をつくる際には,かならず「その他」や「雑」の項目をおいておくことが有用である。
3.「わかる」とは,その分類体系がわかるということであり,「わかり合う」とは,相互に相手の分類の仕方がわかり合うことである

このまとめは素晴らしいと思った。では、この本全体が素晴らしいかと言うと…。この本は、古今東西の分類について紹介していて、それぞれのトピックが結局どう関連しているのかは良く分からないように思う。分かるのかもしれないが、私が一度読んだ限りではあまり印象に残らなかった。でも結論の章だけでも価値があるんじゃないかな。

構造主義進化論入門 | 講談社学術文庫 | 池田清彦|

第一部の読書案内で挙げた「構造主義科学論の冒険」の作者の本。現在の進化論の主流はネオダーウィニズムと言うらしいんだけど、それだけじゃ説明できないことがたくさんあるので、進化ってもっと違う形なんじゃない?というような主張の本。その中で情報に関する話題が出て来る。DNAは、実際に書かれた記号だが、記号の意味はそれがどう読み取られるかという解釈系があって初めて決まるのであって、記号列だけ見ていても生物のことは分からないのではないか?というような話。

分類という思想 | 新潮選書 | 池田清彦|

分類という思想 (新潮選書)

分類という思想 (新潮選書)

上と同じ作者の本。これは、分類とは何か、分類とはその人の思想の表明だ、ということを論じた本。全ての分類は人為分類(世の中にもともと分類があるのではなく、人が分類したから分類がある)ということを強調している。上の『「分ける」こと「わかる」こと』でも結論は同じだが、この本はそのプロセスがちゃんと書いてある。だからオススメなんだけど、結構難しいかも。

デザインの教室 手を動かして学ぶデザイントレーニング | MdNコーポレーション | 佐藤好彦|

デザインの教室 手を動かして学ぶデザイントレーニング(CDROM付)

デザインの教室 手を動かして学ぶデザイントレーニング(CDROM付)

良いデザインって何かと考えると、結局のところ、人間が上手く情報を読み取れるのが良いデザインなわけです。とすると、良いデザインの根拠は、人間の感じ方にあるということになる。そういうことをズバッと書いてある。デザインって、カッコいい絵を描いたりするだけではなくて、紙やパワポのスライド上で要素をどう配置したらいいのか?みたいなことでもあるので、皆さんにも関係あると思うのね。ちなみに、私は手を動かすところまではやってないです。そういう人には、同じ作者の「デザインの授業」ってのの方が良いのかもしれないけどまだ読んだことないです。

レイアウト、基本の「き」 |グラフィック社 | 佐藤直樹|

増補改訂版 レイアウト基本の「き」

増補改訂版 レイアウト基本の「き」

特に文章の配置について詳しく書いてある。例えば行間と行長はセットで考える、なんてのは、実物を見てみれば一目瞭然です。
デザインの本って凄くカラフルな絵が入ったものが多いんだけど、やっぱ私が使うものの基本は文章なので、文章のレイアウトについて詳しく書いてある本はありがたい。

超芸術トマソン | ちくま文庫 | 赤瀬川原平|

超芸術トマソン (ちくま文庫)

超芸術トマソン (ちくま文庫)

これは凄くバカバカしい本です。

「物」と「場所」の意味論―「大きい」とはどういうこと? | くろしおカイブックス | 久島 茂

「花壇の広さ」と「ハンカチの広さ」という言葉を比べると、ハンカチに対しては「広さ」という言葉は不適切で、「大きさ」などと言うべきな気がする。これは、花壇というのは「場所」で、ハンカチというのは「物」だから、ということらしい。そんな話から始まって、言葉が持つ属性の不思議な理屈について掘り下げていく本。例えば「長い顔」とは言うが、その反対の「短い顔」とは言わない。これは、顔の標準の状態が「丸い顔」あるいは「四角い顔」であって、そこから変化した状態が「長い」であるから、なんだって。

授業「情報科学」の参考文献-第2部

第二部のメインテーマは「情報とコンピュータ」のつもりでしたが「デジタルとアナログ」というタイトルの方が適切だったかもしれません。この部分は、私は大学で専門教育を受けたので、どこかの授業で学んだという感じで、どの本が良かったということをあまり思い出せないので、あまり挙げられる本は多くありません。


キーワード:情報理論,2進数,bitとbyte,デジタルとアナログ,標本化と量子化,符号化と復号,ノイズ,情報量と冗長性,エントロピー,暗号,情報圧縮

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本タイトル 著者
冗長性から見た情報技術―やさしく理解する原理と仕組 青木 直史
暗号技術入門 第3版 秘密の国のアリス 結城 浩
数学の考え方 矢野健太郎
情報論I 瀧 保夫

冗長性から見た情報技術―やさしく理解する原理と仕組み / 青木 直史

冗長性から見た情報技術―やさしく理解する原理と仕組み (ブルーバックス)

冗長性から見た情報技術―やさしく理解する原理と仕組み (ブルーバックス)

シラバスで授業の参考図書に挙げていた本。大学図書館にもあるが禁帯出のようだ。安い(886円)から買ってもいいのではと思う。その名の通り、色々な情報技術を冗長性の観点から紹介している。なかなか良くまとまっていて、情報が専門でない人達向けの説明として必要十分な感じでいいと思う。私もいくつか説明の例として参考にさせてもらった。

暗号技術入門 第3版 秘密の国のアリス / 結城 浩

暗号技術入門 第3版

暗号技術入門 第3版

数学ガール」の作者の本。分かりやすい説明で定評がある。平易な文体で書かれているが、なかなか鋭い指摘に溢れていて含蓄がある。授業ではほとんど触れられなかったのだが、情報技術はかなり暗号技術に支えられているので、暗号技術が分かると結構いろんなことが分かる。特に、RSA暗号に代表される非対称暗号は物凄い発明で、これが無かったら今のインターネット成り立たない。ただ、この本はとても詳しく書いてあって勉強するにはいい本だと思うのだが、非専門の人にはここまでの知識は必要ないかもしれない。第3版には最近話題のブロックチェーンについても書いてあるみたいなので、もし読むなら新しい奴を。

数学の考え方 / 矢野健太郎

授業でも古代エジプトの数字などを取り上げたが、この本の序盤の、数の起源とかのところを参考にさせてもらった。後半は私もあまりちゃんと読んでないのだが、数学の各トピックの歴史的な経緯について触れているのが特徴かな。作者は有名な数学者。

情報論I / 瀧 保夫

情報論 1 情報伝送の理論 (岩波全書 306)

情報論 1 情報伝送の理論 (岩波全書 306)

これは私が大学生の時に「情報理論」という授業の教科書として買ったもの。教科書にしてはB6と小さいサイズだった。情報理論というのは普通は情報通信の理論のことを指すんだけど、それは情報通信の分野が最初にきちんと理論化されたことの名残なのかなと思う。そしてそれを成し遂げたのはシャノンという情報学者。私自身は授業のために参考にしたけど、皆さんにはここまでの内容は必要ないかもね。

授業「情報科学」の参考文献-第1部

第一部のメインテーマは「情報とは何か」でした。その中で、人間が世界を認識するとはどういうことかについて色々話をしました。この話について考えを深めるためには、センサーである身体の仕組み、現象を作り出す脳の仕組み、そして世界を切り取る言葉の仕組み、などの様々な面について見ていく必要があるでしょう。


キーワード:記号論記号学,認識論、哲学、科学哲学、認知科学認知心理学

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本タイトル 著者
進化しすぎた脳 池谷裕二
単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二
図解・感覚器の進化―原始動物からヒトへ水中から陸上へ 岩堀 修明
象形文字入門 加藤一朗
レトリック感覚 佐藤信夫
科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる 戸田山和久
構造主義科学論の冒険 池田清彦
超解読!はじめてのカント『純粋理性批判 竹田青嗣
はじめての構造主義 橋爪大三郎
ソシュールの思想 丸山圭三郎
姑獲鳥の夏 京極夏彦
  • や:やさしい
  • 難:むずかしい
  • 薦:おすすめ

進化しすぎた脳 / 単純な脳、複雑な「私」/ 池谷裕二

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス)

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス)

脳学者の池谷祐二さんによる二冊。脳についての授業を高校生にしたときの講義録となっている。元が高校生向けだから凄く分かりやすいんだけど、授業を受けている高校生達も異様に賢くてビビる。二冊は似た内容で続編みたいな感じ。ちなみに「進化しすぎた脳」が先で、そっちだけ図書館にあるみたい。「我々の見ている世界は脳内のイメージ」だとか「意識の前に無意識が動いている」とかそういう我々の認知の基本になるようなことを、ひとつひとつ実験を紹介して分かりやすく説明しています。個人的に好きなのは「人に好かれたかったら、自分がお願いを聞いてあげるより、相手にお願いを聞かせる方が良い」っていう話。自分が相手のために何かしてあげたっていう事実があると、気持ちのつじつまを合わせるためにそれは相手を大切に思っているからだって思っちゃうんだってさ。先生も学生にキツイ課題をやらせた方が好かれるのかな?

図解・感覚器の進化―原始動物からヒトへ水中から陸上へ / 岩堀 修明

我々は五感をセンサーにして世界の情報を得て脳内世界を作っている。じゃあセンサーである感覚器が違ったら世界はどのように見えるんだろう?そういうことを考えるには、感覚器が昔はどうだったとか、他の動物ではどうなのかとか、そういう事がヒントになると思うんですね。例えば「眼が無い動物は何も見えない」というのは本当だろうか。人間は眼の奥に光を感じる細胞があるから世界が見えるわけだけど、その細胞が眼の奥以外の場所、例えば体表にあると何が見えるのだろうか?ミミズとか、そんな感じじゃない?

象形文字入門 / 加藤一朗

象形文字入門 (講談社学術文庫)

象形文字入門 (講談社学術文庫)

授業で紹介した「ネイティブアメリカンの手紙」はこの本で知りました。象形文字の話は、絵文字が文字に代わった初期の例として参考にしました。「絵文字と文字の決定的な違いは、文字には発音(読み)が対応していることにある」とかいう主張がさらっと書いてあるけど、鋭い指摘かも。ちなみに象形文字の具体的な説明もあるけどそこはほとんど読んでないです。

レトリック感覚 / 佐藤信夫

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

我々は普段から言葉を使って話したり書いたりしているわけだけど、言いたいことをなんて言えばいいかすぐ分かるかというとそうでもない。それは言葉というものが有限なのに対して、表現すべきことは無限に複雑だから。この本ではレトリックを、直喩・隠喩・換喩・堤喩・誇張法・列叙法・緩徐法、と分類して紹介しているけど、こうした表現技法はただ文章を飾ったりするという「普通の文章にプラスアルファする」ためにあるのではなくて、そもそも「伝えたいことを文章にすること自体」に必要だと主張している。「有限な言葉で無限のものごとを表現するには、その都度表現自体を創造する必要がある」とでも言うのかな。言葉の不思議についての興味が湧く本です。

科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる / 戸田山和久

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

  • 作者:戸田山 和久
  • 発売日: 2005/01/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

科学って何なの?という疑問についての入門書の決定版(だと思う)。対話形式で書かれていて非常に読みやすい。科学って何なの?って問いは「知るって何なの?」とか「ただ一つの外部世界って存在するの?」みたいな問いと繋がっている。科学哲学についての基本的な論点を知るのに最適。ちなみに理系のリカちゃんと文系のテツオくんっていう学生の登場人物が出てくるんだけど、物分かりが良すぎて笑う。

構造主義科学論の冒険 / 池田清彦

構造主義科学論の冒険 (講談社学術文庫)

構造主義科学論の冒険 (講談社学術文庫)

この本は「科学哲学の冒険」の後に読むといいと思う。科学哲学の本であり、認識と言葉の関係についての本です。なおタイトルが「○○の冒険」と似てるのは多分偶然。この本の内容が私の授業で話した認識問題の話に一番近いと思う。実は外部世界が実在していると仮定しなくても科学(共通理解)は成立するんだ!っていう話です。授業ではあまり深入り出来なかったところまで書いてあります。昔の哲学者がどんなことを言ってきたのか、というまとめとして読んでもかなり良く出来ている。

超解読!はじめてのカント『純粋理性批判』 / 竹田青嗣

カントの「純粋理性批判」は名前ぐらいは聞いたことあるかな?認識の話をするとどんな本でも引用される本です。カントはそれまでの西洋哲学の総まとめかつ新スタートみたいな重要な位置にいるっぽくて、どうも避けて通りれないみたい。でも原著の日本語訳でもハードルが高すぎる(私にとっても)。なので、新書でざっくり解説してくれているこの本が助けになる…のだが、それにしてもまだ難しいと思う。他の本でカントが出てきてどうしてもそこをちゃんと分かりたい…という人にのみオススメ(私のことです)。

はじめての構造主義 / 橋爪大三郎

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

この本は、本当に「構造主義って何?」ということだけを説明した本なんだけど、本一冊使ってそれだけだってのが逆に凄いと思うのね。普通の本って色々なことを雑多に説明するものじゃないですか。もちろんこの本でも色々な話が出てきて、しかもそれらもかなり面白いんだけど、それらは最終的に一つの事を説明するために必須のパーツだけで構成されている。丹念に議論を積み重ねることで初めて見えるものがある、という学問の醍醐味が体験できる本です。

ソシュールの思想 / 丸山圭三郎

ソシュールの思想

ソシュールの思想

ソシュールの思想 (丸山圭三郎著作集 第I巻)

ソシュールの思想 (丸山圭三郎著作集 第I巻)

  • 発売日: 2014/03/26
  • メディア: 単行本

ソシュールという人は記号学の開祖です。なお記号論の開祖はパースですが、記号学記号論が何が違うのか未だに良く分からねえ。それはそうと、これはそのソシュールについての日本人による解説本です。ソシュールは元々言語学者で、ある言語(日本語とか英語とか)についての研究ではなく、「一般言語学」として、それらに共通する言語の特徴を研究していて、それが後に記号学と呼ばれるようになったようです。この本は日本人による解説だけど、ソシュール自身がまとまった本を出したわけではないのでかなり自力で読みとってまとめた本らしく、色んなところで引用される重要な文献です。…ということで私も読んでるんだけど、まだ道半ばなんだよね。

姑獲鳥の夏 / 京極夏彦

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

タイトルは「うぶめのなつ」と読みます(読めないと検索できないし)。これは学術書じゃなくて小説。だけどそのテーマは「認識」。その人の世界はその人の認識するもので出来ている、ということがいろんな角度から語られる。なので、勉強目的で読んでも参考になると思います。分厚い本だけどメチャクチャ文章が読みやすいのでスラスラ読めると思う。しかしこのウンチクを語り出したら止まらない感じ、個人的には親近感湧くけど実際身近にいたらウザいタイプだろうなあ。

皆既月食を見なきゃと思った話

この前、皆既月食と赤い月を見ました。正直、見たいかと言うと別に見たくなくて、義務感みたいな気持ちで見ました。その義務感というのも、周りに話題を合わせなきゃというものではなくて…。じゃあなにかと言うと…。


そういうイベントがあると、良いカメラで撮った写真がインターネットにはたくさんアップロードされるじゃないですか。そういう写真では月はクッキリハッキリ写っていて、ぶっちゃけて言うと、そっちの方が見る分にはきれいなんですよ。でも、なんかそういうものばっかり見て、自分の目で見てないな、本当の月はそんなきれいじゃないんじゃないかな、って思ったんですね。


私は視力が低いけど、まあメガネかけてれは普段は問題ないのですが、月なんてかなりぼやけて見えるわけです。とても写真のようにくっきりは見えない。写真の方が綺麗だと思うわけです。ここで「自分の目で見たら月はもっときれいだった!」っていう話なら皆さんも満足するのかもしれないですけど、そうはならなくて。


でも、本物の月というのは、写真と、自分で見たのではどっちなんでしょう?それはもちろん、どっちも本物です。我々が見ているのは脳内に作られたイメージ(現象)なのだから、目で直接見ようが、写真を挟んで間接的に見ようが、別に優劣はない。だから、どちらに抱く感想も、別物ではあるが本物でもある。「自分の目で見ただけじゃ分からなかったけど写真で見たら魅力が分かった」と思ってもいいし、「写真で見たら綺麗だったけど自分で見たら大してきれいじゃなかった」と思ってもいい。


そういう考えが自分に浸透していくと、月を見ても、思うのは「きれいだな」とか「きれいじゃないな」ではなくて「ああ、私の目から始まる認識システムでは月はこのように見えるんだな」「写真とはこれぐらい違うのか」みたいな感じになるのですね。見た対象ではなく、自分の認識装置を観察しているわけです。


なんでわざわざ幻滅するために自分の目で見なきゃいけないんだろうな、って思わなくもないんですけど、でもまあ幻滅するために見るのも大事なんだろうな、というのが最近思う所でして。これはバランスの問題だと思うのですが、どうも私は理想化された伝聞の世界ばかり見てしまう傾向があると自分では思っているので、もう少し自分で直接体験することを増やした方が健全なんだろうなあと思ってるんですね。


というわけで、健全さを保つために、実物の月を見て幻滅して(いや、言うほど幻滅してないですが)、見て良かったなあと思ったのでした。そして、あなたに会って、人に会うって大して面白くないなって思って、会って良かったなあって思いたいです…あ、ダメな結論のやつだこれ。

人と違って、人に興味がないなあということ

ちょっと前にテレビでe-sports(電子的ゲームによる競技)の特番をやっていたらしく、それを見ていた母が興奮気味に私に内容を解説してきた。ストリートファイターVのときど氏の話だった。母としては、私がゲームが好きだから乗ってくると思ったのであろうが、正直言ってその話にはあんまり興味ないなあ、と思った。どういうことかというと、特番でフィーチャーされていたのが、ゲームの話ではなく、ゲームのプレイヤーの生き様に関する話だったからだ。それだったら普通のスポーツとなんら変わらないではないか。そして、そういうのばかりだから私はスポーツ界隈が好きじゃないのであって、それと同じになるなら同じようにe-sportsにも興味が持てないな、と思った。


別にスポーツに限った話ではないのだが、私が思うに、多くの人は、人にしか興味がない。そして、私は人には興味がないのだ。少なくとも、優先順位が相当違うなと感じる。そして、そのことによる齟齬というのを感じる機会が結構多い。


例えばピアノの分野で考えて見ると、ショパンコンクールなんか放映しても、大体の人にとっては演奏の違いなど分からないし、演奏の中身にフォーカスして特集を組んでもそんなものを楽しめるのは少数派になってしまう。しかし、その人の見た目や生き様というのは、別にピアノや音楽への造詣には関係ないから、皆がほぼ平等に評価・鑑賞することが出来る。それは単に人を好きになるとか嫌いになるとかいうレベルの事だから、誰にだって平等なのは当たり前だ。一般向けの番組が人にフォーカスするのはそういう理由なのだと思う。


スポーツでも、私は、そこでどういう技術が使われているのかとか、どういう戦略でやっているのかといった解説を聞くのは好きだが、選手自体にはほとんど興味がない。あるいは野球の球団を応援するみたいな気持ちも無いし、もっと言えば誰が勝つか負けるかもどうでもいい。選手同士がぶつかっていい試合が生まれることに価値があると考える。


特に嫌いなのは、勝った人が性格まで肯定されるという構図で、スポーツははっきり言ってそればっかりだ。そもそも勝った人か、その直前ぐらいの人しか取り上げられもしないので、結果的に勝者の称賛ばかりになっている。いや、勝者の称賛それ自体は別にいいのだが、他の人が称賛されるべき生き様で生きている可能性というものをもうちょっと考えればいいのに、と思ってしまう。e-sportsもそういう構図に近づくなら、スポーツと同じで私的には気に入らないものの一つになってしまうだろうと思う。


ただ私も、またピアノの話になるが、例えば良い曲を探す、良い演奏を探す、といった活動をするとして、演奏者や作曲者という関連性を利用するということはある。良い曲であればどんな作曲家のものでも平等に評価したい、という気持ちはあるが、いくらそう思っていてもさすがに完全にランダムに次に聴く曲を選んだりはしないわけで、良い曲がありそうなところから探そうと思うと、作曲者や演奏者といったものをブランドとして探す手掛かりにはしている。したがって、例えばこの選手に注目していればいい試合が見られる、という発想であれば、十分理解できる。


ただ、根本的な違いとして、私は「コンテンツを評価するのに、それが誰が作ったものかということに左右されたくない」と考えているのに対し、普通の人は、まず「人を評価したい」という所がそもそものモチベーションなのかなというような印象を抱いている。


私は少し前から歴史の勉強をしているのだが、いわゆる歴史好きの人達とはずいぶん話題にすることの方向性が違うように思っている。私は、歴史の大きな流れが知りたくて歴史を勉強しているのに対し、普通の歴史好きというのは、歴史上の登場人物の生き様に興味がある(かっこいいとか言いたい)のだと思う。ちょっと前に、高校の歴史の教科書から坂本龍馬などの人物が消えるかもしれない、というニュースがあったが、私は趣旨には賛同しているのだが、多くの人は人への興味からしかいろんなことへの興味が持てないのが普通なので、私のような感覚に合わせない方が結果的には上手く行くんじゃないかなと思ったりした。


しかしもちろん、私のやり方・考え方が良いとは必ずしも思っているわけではなくて、とにかく違うなと感じているということなのである。例えば、自分には分からないことがあったとして、それを全部納得いくまで調べるのは無理な場合に、可能な限り自分で考えて結論を下す、というのと、その分野の専門家の人となりを評価して信用できそうだと思った人の言うことを鵜呑みにする、というのとでは、ほとんどの場合、後者の、人を頼りにする方が真実に近い結論にたどり着けるような気がする。


まあしかし人とは考え方が違うことが多い、ということを事前に理解しておくことは、コミュニケーションにおいて役立つことである。別に、人との違いを人を対立するために使わなくてはならない訳ではないのだから。

大逆転裁判

大逆転裁判は、結構微妙だという話を聞いていたのですが、2が出てそれが最高に良かったと評判だったので、どうも1の時の皆さんの不満は続編前提なのにそれが知らされておらず伏線とかが投げっぱなしになってる事だったらしいので、そんじゃあ2が出た今は安心して1をやれるというわけだな、ということで買ってみました。なんかダウンロード版がセールで安かったんだけどいくらだったか忘れた。


公式サイトその他


前回やった逆転裁判5が、私的にはシリーズ最低の出来で、もうこのシリーズは見限ろうと思ってたんですけど、上記のような流れでやってみることにしました。


まるっきり情報を仕入れずに始めたので、結構驚くことがありました。え?シャーロックホームズが出て来るの?とかそういうレベルで。公式サイトでめっちゃプッシュされとるやん。巧舟がメインディレクターに据えられていることすら良く分かってなかったよ。


全体的には…やっぱりテンポが悪いんですよ。演出が過剰というか。いちいち成歩堂のリアクションが多いし。全然まだ反論の余地があるのにダメージ食らっていちいち時間取られるのウザいといったところは、もうちょっと何とかならないのかなあと思います。


でもまあシャーロックホームズとの共同推理みたいなのは結構楽しかったですね。いや、めちゃ簡単でゲームとしては微妙なんだけど、演出的にはなかなかいいと思いました。


いろいろ不満はあるんですが、大筋の部分がそんなに悪くなかった気がするので、終わった後の気持ち的には「まあこれぐらいならいいかな」って感じでした。そのうち2もやりますです。