森元首相をバカにしたが、それは私がバカだった。反省。
マスコミのおもちゃにされてるという「操作」を、
言葉では分かっていても、やはり分かっていなかった。

前紹介したページに書いてあったのを読んで
訂正しようか迷ってたところだったんだが、
先に森さんに言われてしまった。

…まあそれを選挙前に言うのはどうかと思うのだが…。


「騙されるな!」と言いつつも、やっぱ自分も騙されてるなあ。
それは別に悪い事じゃないと思うんだけど。
また一つ賢くなったと思えば。



天才ピアノニスト「マキシム」

とかいうのがテレビ東京で紹介されてた。

クラシックをポピュラーな感じにアレンジして弾いたりしてるみたい。

見た時は既にピアノを弾いていた。
協奏曲っぽい内容なんだけど、…なんだこのオクターブだけの曲は。
見事なまでのハッタリ曲ですな(笑)。


その後ソロで弾くっていうんで見てたら、
弾いたのはショパンノクターン20番。
(いわゆる、「戦場のピアニストのテーマ」(笑))
ますますあやしい(笑)。


まあ上のリンクでコンクールで優勝したとか、
ラフマニノフ弾くとか書いてあるんで、実力あってやってるんでしょうな。

>ピアノに目覚めたのは9歳のころ。夢中で鍵盤に向かい、
>12歳でオーケストラと共演するまでに急成長した。

コレほんとなら神じゃね?



卓越した技術が魅力と書かれてるのは多分に怪しいけれども…。
卓越したルックスだろどう見ても。
技術が魅力だってんならそういう場面を見せてくれないと。

「とりあえずノクターン20番弾いとけ」という精神は非常に気に入らない(笑)。
こういう行動がピアノへのイメージを歪曲するんだ。


私は演奏中に心を込めてるような演技をするのは嫌いだからしないけれども、
それを総合的に観客に提供していると思えば悪いとは思わない。
私が「そうしないことによってこいつは音楽のことを真剣に考えてるんじゃないか?
 と思わせる効果を狙っている」ということも否定しないが。
狙ってて、あんま効果ないからすすめないけど。


見た目がカッコイイのは、当たり前にプラス要素ということでいいと思う。
まともな方法で人々をクラシックに向かわせる方法がない今、
こういう手法で成功している事は賢いと言えると思う。

でも、イメージ的にはあそこでノクターン20番じゃなくて、
ショパン練習曲10-4でも弾けば、ミーハーな人も最高に酔うと思うんだけど。
なんでみんなノクターン20番ばっかり弾くのかなあ…。

もちろん技術的な曲を弾くと露骨なイメージを与えるのは事実なんだけれども、
現状ではノクターン20番に勝る露骨な曲はないからね。



他大学から、ピアノ愛好会へのリンクの依頼が来ました。
青山学院大学だそうで。

来て思ったんですが、他大学の人にこそ、
過去のコンサート情報が公開されてるべきなのでは…。
やっぱ他の大学のページ見たら、まずコンサート情報見て
どんな曲弾いてるかってのが興味の対象ですよね…。

いらないって書いちゃったけど、2年分ぐらいは残した方がいいかなあ…。



はあ、女性差別について書こうと思ってたんだけど、
一度寝るとテンション下がるなあ…。



食パン氏が書いた内容への批判、ではないです。
そこに書いてあることは多分現状では正しいと思います。

ただ、過去の状況がどうして生まれたか、ということには、
当たり前ですが必要だったからってことがほとんどだと思うんで、
それを頭ごなしに差別だって言うのは安易というか軽率だと思います。

畑の害虫を殺すために殺虫剤をまいたら、
別のもっと深刻な害虫が増えた、みたいなことが起こりうるということです。


例えばアラブ諸国で女の人が全身を布で覆わなきゃいけないってのは、
明らかに砂や日差しから守ろうという目的であり、
それが「教え」になったが故に強制になっているけれども、
本来合理的であったということ。
「強制した方がいい」という判断だったとしても疑問が無いぐらいです。
(女性の固体を特に守る、というのは生殖に関連した理由かな?)


そういう理由まで考えて初めて、
アラブの女性が日本に来てまで、顔を覆っている事の
不合理に気が付くわけです。そしたらもう差別だと認定して、
とっとと撤廃すればいいのに、と皆が納得できます。

そして自国の環境が変わって日差しや砂に対処できるようになれば、
もう自国でも顔を見せてもよいと。逆に環境が変わってないなら、
安易に差別だと言うのは危険じゃないの?ということになるかと。

ま、一面しか見てないんでまだなんか理由があるのかもしれないですが。
でも、もしそれが「はしたないから」、とかいう理由だったならば、
それは多分後付けで、「説得のために」作られた理由だと思います。
(「はしたないから」は、例えばの話。実際はよく知りません)

必然に合わせて文化が作られていく。そう思いませんか?


では、女性が客体にされていた理由は何でしょうか。
それが美徳だ、というのはそこで思考停止していると思います。
「なぜそれが美徳とされたのか」
「なぜそうすると(何が)有利なのか」
というところを考えて、
それが現代に全くいらないものであることが言えれば、
皆納得してそれを受け入れられるはずです。


私は理由が思いつかないです。思いつかないんだから、
今はもう無いのかなあ?というぐらいに思います。最初に書いた、
「多分現状では正しい」とはそういう意味です。


ある文化に「便乗して」作られた文化ってのもあるかもしれません。
それが「分かりやすい差別」なのか、「必要に迫られた故の文化」なのかは、
元の文化の理由が示せれば分かる事です。



例えば日本人は、「とりあえず謝っとけ」という文化を持っています。
それは、誰もが言う、「物事を円滑に進めるため」という理由からだ、と
そう伝えられています。これは最初の理由から変化していないと思います。

しかし「どうでもいいことで神経使うのやめよう」ということならまだしも、
「自分を攻撃するものに対してそれを甘受しよう」というのは絶対含んでいなかったと思います。

何でそう思うかと言われれば、それが生命にとって不自然に思えるから、です。


謝る事が美徳とされている今の日本では、
韓国人が嘘言って勝手に怒ってるだけなのに謝ってるわけです。
朝日新聞は「謝らないのは酷い」という文化をせっせと広めているわけです。

(アサピーがニダーに電波を送って、
 「謝罪と賠償を要求するニダ!」と言わせているのは、つまりそういうことです)


「物事を円滑に進めるのが目的なんだから、
 謝って円滑にならないなら謝る意味はない。
 謝って状況が悪化するなら謝ってはいけない」

私はこう考えます。謝るのが何のためか考えたらこうなったということです。


ここでは、直接的でない(誤解されやすい)文化を信じ込ませているのが朝日新聞で、
その本質とは関係ない文化に便乗して、「ただの日本人差別」をしているのが韓国人です。



こういう「誤解から生じた、ただの差別」は、合理性、自然さが好きな私は
とっとと解消すべきだと主張します。



さて、女性差別についてですが。

時代に合わない、あるいは元々不当で改善すべき差別はもちろんあったでしょうが、最近
「弱者である女性が優遇されないのはおかしい」
のような、韓国人並のことを言ってきているのは、皆気付いている事です。
それは誤解された文化に便乗した、ただの男性差別でしょう。

しかしここで難しい問題があって、
男性は自分の利権を守るためにこれに反発すると、
「女性に嫌われる」という深刻なデメリットが付いてきます。

さっきも言ったように「皆気付いている」けども、
私のように開き直った人しか口に出せない状況なわけです。
まだ私だってこんなこと言いたくないですよ。

しかし女性が自分の権利を拡大しようとすることは、自然な事だと思うのです。
それは自然界のすべての生き物がやってることですから。


問題は、誰かが権利を主張したら必ず他の誰かの権利が削られるはずなのに、
そこで正常な競争が行われていないという事です。

私が訴えかけたい対象は、実際に差別されている人達、
つまり最下層男性、私とか、ということです。

「不当な利益を被る男性が、それを美徳だと思わされてる」

これは、韓国人に意味もなく謝る日本人と同じってことです。
しかし韓国人が悪いのではなく、戦わない日本人が悪いのです。

戦わない気持ちが、差別を助長しているのです。


皆が自分の権利を最大限主張して、そのせめぎ合いの中でバランスを保っているのが
この世界そのものだと思います。とりあえず自然界とかは。

競争はよくないと言った共産主義がことごとく壊滅したというのは、
人類が、「競争しないとどうなるかな?」という疑問に対し、
何十年にも渡る壮大な実験をして、やっぱりダメだったという
価値ある証拠を得たと見るべきだと思います。





つかれた。

ハア…書いちゃった。
電波男読んで、二次元に解脱しよかな(笑)。

そういや、あの掲示板を笑いながら取り上げた意味は、

「こういうの見るといかにも女性差別批判論者が食いつきそうだけど、
 それも気にせずよく言うよな(笑)」

ということ。

今日のは別に最初から考えてたわけじゃなくて、
今日考えたくなったから考えただけです。

「差別されてる人がそれに気付くには、学問が必要」
とも言いたいけども。それは自我自賛ぽいよね(笑)。

でも、自分の考え方とか、たまに挙げる例とかって、
ほんとに学校教育によって得られたものだとは思ってるんだけどな。

「反例思いつかないなあ」とか(笑)。