じーさんの一周忌でした。

じーさんは背が高い人で、どう見ても私と弟は遺伝子もらってますね。

三日連続で酒飲んでるよ…。

久々に姉に会う。会う度「ダサい」とか「キモイ」とかうるさい。


父親が運転していたのだが、道がわからないということで、
大田区?だったかの工場地帯で、工員さんと思しき人に車を降りて尋ねる。
道には右翼の車が止めてあった。なんだか少し怖い。


父「いやーちゃんと調べてくるべきだったな。おかげで右翼かもしれない人に
道聞くことになって怖かったよ(笑)」

姉「いや私達こそこんな格好(喪服)で右翼みたいでしょ」

母「お父さんも角刈りだしね」

父「じゃあ向こうの方こそ『右翼に話しかけられて怖かった』とか晩に言ってるかもね」


我が家の会話はおもしろいなあ。




あんまり休めてないな。
考えるべきことが増えた。ぐおあ。




最近いぶかしく思っていることがある。

インターネット上での流行のスピード、あるいは流行の対象である。


自分が見つけた、面白そうだけど、少し低俗なものが、
一日か二日後に、友人のブログにことごとく登場する。

「少し低俗なもの」というか、
「自分も試してみて、何の意味も無いな、とか思ってここでの告知をしないもの」
という方が的確な感じ。


まあ最近の例で言えば、「成分分析」とか、「モテぢから★実力テスト



私の方が早く見つけるのは、そりゃこんだけネットに時間を割いていれば当たり前だ。
そこには疑問は無い。

しかし、私がそういうネタを見つけるのは、私の友人はあまり見ていないようなサイトのはずだ。
たまたま見かけたりするものがほとんどだ。


これは、ネットの世界が狭い(みんな同じようなサイトを見ているから)
ということの証明ではないだろう。

おもしろいと思ったものを紹介するという習慣の定着、
つまりブログの使用率の恐ろしいまでの向上による、
究極ともいえるスピードでの情報網が今存在しているということになるだろう。

mixiの存在もバカにできないが、mixiの日記もある意味ブログだ。


そしてそこにあるのは、究極のスピードでの流行り廃りだ。
webはあまりに広大で、面白いものは尽きることが無い。
そしてこの世界では情報収集に余念の無い者ほど、名声を得ることができる。


つまり、自分は流行とは程遠いと思っていたが、違う。
それどころか流行の最先端にいるのだ。


…しかし、やはり自分がつまらないと思うものは紹介できない。
それは当たり前の良心というものだ。


それに、情報収集に躍起になるばかりで何も生み出していないのでは…。



今この時代に情報学を学んでいるのは、やはり刺激的ではある。