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デジモノに埋もれる日々: 「亀田」と「時かけ」 - メディアの扇動力がネットに圧される時代
良い傾向だ、と思います。しかし、まだまだでしょう。
もっともっと、例えば創作だったら、作品そのものの価値が売り上げに直結する仕組みに変わって欲しい。
超えられない限界として、やはりネットを利用しているのも人間であり、
例えばハルヒは上のリンクでは口コミによって大評判になったと書いてありますが、
ハルヒ自体を見ていないので私の判断はデタラメかもしれませんが、
日記にも書いたとおり、面白いと紹介されたエンディングの踊りが
別に面白いと思わなかったので、あれはアフィリエイトを利用しているサイトが
煽って作ったブームととらえています。
つまり、大して批判しているメディア戦略と変わりないということです。
ネットが勝てばいいわけではないのです。
各自が自分の気持ちに素直に感想を述べることが重要なのです。
その部分が、皆まだまだ修行不足といえるでしょう。
(別にハルヒがおもしろくないと言ってるわけではなくて例に使っただけです)
その「各自」の母数が大きいのがやはりネットの優位性なんでしょうけど。
その「自分の気持ちに素直になる」考え方こそが、「おたく」であると考えることもできます。
Iwatamのコラムの解説によれば、
(ちなみにこのページで触れられている「萌え」も興味深い)
おたくは自分の感情を一番素直に見つめ、そして大事にする人々である。
「自虐的」というのは、その前に流行っていた「なんでも人のせいにする」風潮の反省である。自分のことを自分でよく考えてみようという態度である。
おたくが社会不適合であるというのはある意味正しいわけです。
私も正直ハウル酷いとか書いた後はかなり苦しかったのです。
楽しんで見た人を不快にさせてるんだろうな、と。
でも、そこでの優先順位がどちらを向くかで、おたくかそうでないかが決まるわけです。
おたくは誇り高い人間であり、自分に嘘を付きたくないのです。
まあ、これは一番広く使われてるおたくの定義とは結構違う気がします。
が、私はこの方面でおたくである、あるいはありたいと思っているとは言えるでしょう。
書いてて疲れたので中途半端ですが今日は終わります。
明日続きを書くかどうかもよく分かりません。
感染の構造: ネットでだまされないために
ネットがおたく的であったこと、大衆化によって既存のメディアのようになっている、
ということについて詳しくまとまっています。
前から思っていたんですが、
「萌え」について、大衆の人が関心を持つようになって、
「単にかわいいをふざけて言ってるだけでしょ?」
「言葉の定義なんて変わっていくもんなんだよ」
と言うのはいささか乱暴ではないでしょうか。
もっと専門の人への敬意を持つべきだと思います(私のことではない)。
ワールドカップの時だけ「あの選手が使える使えない」とか言うように、軽薄です。
相手がおたく、つまり社会的弱者だからといって、そう踏みにじるものじゃありません。
そしておたくはそこで反発できるぐらい、専門分野だけでも誇れるだけの見識を持ちなさい。
それができなきゃ単にキモイだけの一般人ですよ。