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モモが外に出てしまったとかで起こされる。
「あたしが悪いの…」とかいいつつオロオロする母を横目に、
弟と私が黙って外を探しに行く。
見つからないな。
勝手に戻って来るのを待つしかなかろう。
昼になったが帰ってこないようだ。
探しようが無いから待つしかない。
で、私留守番ですか。ヤレヤレ…。早く帰ってこないかなあ。
12:40帰ってきた。
これで研究室に行ける。
家にいると相変わらず合宿で持っていくCDとか作ろうとして全く勉強できない。
ドライブで同乗者に聴かせるCDってのは、拒否られる可能性が高そうだから、やめとくか(笑)。
いろいろ聴いてたけど、ゲームミュージックディスクVol.2で何の問題も無い気が。
東方の曲とかどうですかねえ。ピアノ多いし。
レースゲームの曲がいいかと思ったんだが、なんつーか速すぎかな。
F-ZEROの時速1400キロオーバーの世界には合うけど…。
かといって頑張って180キロとか出されても困るし…。
やめとくとかいって考えてるし(笑)。
高校の同窓会があったのかしら?
呼ばれてないとするとこれは嬉しいね。
高校の同級生は、こちらからお前らなんか嫌いだオーラを出しているのに、
「そんなこと言わずにさあ」となだめる非常に大人な人達だった。
私のことを頭のおかしい人扱いしているくせに、「ポーズをする」辺りが嫌いなのだ。
諦めてもらえたのなら、これ程気楽なことは無い。
なにせ善意でやってると見るしかない。それに応えなくて良いのだ。
そもそも私が会いたくないのに向こうが会いたいってことも無いだろう。
(会いたくない、ってのは、会いたい、どうでもいい、会いたくない、の三段階評価のうち)
…なんか書いてて私が凄い嫌な奴に見えるな。多分そうだよ(笑)。
まあ、あんまり面白くなかったというだけで、そりゃもちろん私のせいだし、
辛かったとか、うらんでるとか、そんな気持ちはカケラもありませんけど。
でも辛い方がマシという感覚はなんとなくあるかもしれんね。
とにかく思い出すことの無い高校生活。
でも、それは私が何もしなかったからだな。
それを周りのせいにしてもしょうがないよね。
…嫌いとか書きまくった後ですが、訂正も謝罪もしないでそのままいこー。
で、一応関係ないつもりですが。
何気なくネタ掲示板に貼った、「スクールカーストとは」のところから
リンクされてる、
純粋なココロ: コミュニケーション能力の義務教育化について考えた(1)
の、さらにリンク先にあるこの人の自伝を読んだ。面白かった。
いつも思うのですが、面白いはfun(笑える)とinteresting(興味深い)の二種類で解釈できますが、
これはinterestingの方です。…最初から興味深いって書けばいいのか?
特に面白かったのは、中学時代、「道化になるしかなかった」というところ。
ガチャフォースの開発者が言ってたことを思い出しました。
>どこが面白いのか誰にもわからないようなギャグを日々磨いている、
>周りよりちょっと頭が良いために子供社会では道化をやるしかない人物です。
>このゲームにはファンタジー度合いの高いおもしろうれしいキャラと、
>リアル度合いの高い本当にいそうなキャラが混在しており、ユージは実はリアルな方だったりします。
>こういう人物は皆様のまわりにもいたのではないでしょうか。(僕のまわりだけ?)
…どう見ても子供向けの絵柄なくせに、こんなこと書いてるから
全然売れず幻の名作になってるんじゃないかと言いたくなる気もしますが。
(実際はこのホームページ見て買った人多いんですけどね。私とか)
んで、別に「私も頭良すぎて道化やってました」と言うわけではありませんが、
この人の書く、成績が良いために「先生に従順だと思われる」という悩みは多少ありました。
しかし、内なる心が正義ですので、とれた選択肢が「奇人」しかなかった、というのは
今考えても納得できる選択だったのではないかと思っています。
奇人(変人)の有効性について考えるようになったのは、しっかり奇人になった後です。
この文章の表題は、
オタクコミュニティ内における成功体験が、『脱オタ』推進にも影響した一症例
です。もちろん、別にオタクコミュニティというところが重要なのではなく、
成功体験という所が重要なのでしょう。
iwatamのコラムであった、ニートについて、
>こんな奴らに働く意欲を身につけさせようとするのは、いきなりハードルを高くしすぎじゃないか?その前に、遊ぶ意欲を身につけさせよ。
という提言はとても当たっていると思いました。
この文章は、モテが努力の産物であることが明確に分かるのもいいですな。
私はその努力をする気がないわけですが(え、努力しても無理?)。
脱オタ=成功か、というところはまあ疑問ですな。
まあ私は、オタクだけど別に侮蔑されて無いので気持ちは違うでしょうが。
人間関係よりも重要なことがある、というのは、おかしなことではないと思います。
…という考えはとっくにあるし、納得しているので、
「私は見ている世界が狭く、くだらない物に情熱を注いでるのか?」と考えてみましょうか。
論点は、「情熱を注いでいる物の価値が主流を上回っているかどうか」ということになります。
そこは常に意識しているといっても良いでしょう。
そう考えると、ピアノではコンサートの拍手の量から見ても上手くいってると見て良いでしょう。
しかしゲーム音楽は?そう考えるとあんまり紹介しても反応がよくないような気もします。
というところで最近考えるのは、比較対照は久石譲あたりか?ということ。
ピアノは、膨大なピアノ曲の中で自分の選択が優れていればいいんですが、
ゲーム音楽はそもそも普通の人は聴いてない。で、近い物、と考えると、
歌詞の無い、現代的な音楽、となると映画音楽とかになるわけですね。
ということで、その中でも旋律的な久石譲あたりと比較すればよいのではないかと。
…なんか真面目に話が進んできたな。
ということでゲーム音楽を紹介する時には、「失われた彩画」あたりを入門にしたいと思います(笑)。
話飛びますが、ベートーベンみたいなのだけが音楽じゃないと思うのです。
むしろ、そういうどこまでも胸をえぐるような曲は好きな方ですが。
あらたまって真剣に向き合いたい曲じゃない曲の良さってのもあると思うのです。
もちろん軽い曲という意味ではなく。
歩きながら聴きたい曲というか。
今日ピアノ部屋から帰る時、ついGrid Seekerを聴き始めた私は、
自転車まで行って、曲が終わるまでそこで動けなかったのです。
横にいた管弦の人に怪しまれたに違いありません。
ZUNTATA OGR氏のインタビュー発見!
>唯一僕が大切にしているスタイルがあるとすれば、それは「CONCEPTに基づいた
>音楽」を作るということです。音楽はフィーリングだけで作れてしまいます。
>それはそれで一つの楽しみかただとは思いますが、僕は単に漠然としたイメージや感覚だけで作曲
>することはしません。それぞれのゲームに対してキーワードを決めて世界観を作り上げます。
>そうすることで説得力のある「強烈な意味を持った作品」にすることが可能となるからです。
>音楽はフィーリングだけで作れてしまいます。
こういう域に達したい。まあ別に作曲家になりたいわけじゃないから良いけど。
で、そのコンセプトっていうのが…
ダライアス外伝と
Gダライアスのところを読んでみてください…。