カーテン開けて寝たら、7時半に起きた…。
4時間弱しか寝てないのではまずいので、寝なおした。
9時半に起きる、があんまりちゃんと寝られた感が無い。
起きた方が良かったかなあー。まあいいや。


なんか前も書いたような気がするが、
例えば「おやすみなさい」って、呼びかけだよね。
子供から親に言う時でも「おやすみなさい」だからなんか違和感あるけど。

挨拶って、当たり前だけど、呼びかけだよね。
自己完結挨拶だと思っていた挨拶も、相手に言うと思えば、もう少し気持ちが入る気がする。
まあいきなりそんなニュアンスで使っても、困惑されただけだったけど(経験済み)。




さて続き。

ちょっとまず脱線するが、

「リセットできるからといってそれをするのは人として(あるいはゲーマーとして)どうなの?」
という意見があるかもしれないが、それは誤解である。

ゲームというのは、できることとできないことが明確にあり、
できることは全て製作者の意図と考えるべきである。

例えばロマサガ2というRPGは(まあ1も3もそうだけど)、戦闘時以外いつでもセーブが出来る。
そんなもん簡単じゃんと思うかもしれないが、実際の評価はことごとく「難しい」だ。
なぜかって、敵が強いのですよ。でもそれは私に言わせれば確信犯的で、
「いつでもセーブできるゲームデザインだから、大胆に敵を強くすることが出来る」ってことで。

風来のシレンなんて、一歩歩くごとにセーブだからね。
それがハードの関係でできなくなったPS版でも、
中断という形のセーブをして、それは再開と同時に消えることになってるから。

だから逆転裁判だってそういうゲームデザインにすることは可能だったわけで、
それをしなかったということは、別に製作者がそれでもいいと言っていると見るべきなのですよ。
いや、製作者の本心は知らないけど、それがゲームの原則(だと思う)。

一番分かりやすい例がネットRPG(MMORPGとかいうのかな)のPK(プレイヤーキラー)ね。
要するに、モンスターを倒すはずのゲームで、味方のはずのプレイヤーキャラに
切りかかるのは悪だ、と多くのプレイヤーが思ってたりするわけ(いゃ、実体は知らないけど)。
けど、そんなもんやめさせたかったら、製作側がわざわざ味方に攻撃が当たるよう作らなきゃいいわけで。

要するに、PKがいるのは、製作者の意図したことなわけね。
もしかしたら、それに対抗する組織や、保安官みたいな人が出てくるというところまで
製作者の意図したところなのかもしれない。


もしハードとか、技術的な制約でセーブ箇所が思うようにつけられないとしたら、
それに合わせた難度にするのが当然でしょう。

そういう意味では、せっかく「ボス戦では負けても直前から再スタートできる」という
よさげなゲームデザインを採用したバテンカイトスは、
もう3回り位ボスを強くデザインするべきでしたな。



はい、まあここいらで戻ると。


ピクミンは、30日間で星を脱出するのが目的のゲームで、
その30日間の二サイクル目で私はクリアしたんだけど。
一サイクル目であらかたのことを把握してあったから、
二サイクル目では(精神的に)気楽にやっても20日ぐらいで大体めどが立つわけ。
(具体的な日数は忘れた。そんなに少ない日数で出来たかな?)

そこで、日数だけ短くした、例えば15日間でやるべし、とかいうハードモードが出現すれば、
(まあ、それだけではさすがにどうかと思うが、敵の配置変えるとかして)
私の中での評価も随分と違ったのではないかと思うのだが。


そこで、「じゃあそういう制限を自分でつけて遊べばいいんじゃない?」というのはもっともだが、
それができない私はまあちょっとゲーマーとして劣っているのかもしれないが、
実際やはりクリアというのは一区切りなので、別のゲームがある場合は流れてしまうということと、
やはり、適正な「一度は挫折するけど超えられる壁」を自分で決めるより、
製作者が決めてくれた方が、より適正に決められると思うのだけど。


一番感じるのが、「壁があったんだけど、よく分からないまま超えてた」というもの。
もっと、今までのゲームプレイを見直して、改善を促すぐらいの壁を用意しなくては。
そして、その次はそれが出来ている物として、新たな課題を提供してもらわなくては。

もうRPGなんか、成長要素すら無くせばいいんじゃねとか思い始めてきた(笑)。



私がめちゃくちゃ面白かったと思っているゲームではどうだったかというと、

風来のシレンでは
死ぬと初期状態に戻るという、「反射神経のいらないシューティングゲーム」であり、
しかし、最初の一区切りまでは、RPGとしての成長要素(装備を鍛えて残す)ことができ、
そこまででゲームの基本を挫折せずにきっちり学ぶことが出来る。そこまでも十分難しく面白い。
さしてさらに、RPG要素をゼロにした、実力一本勝負のゲームが用意されている。
クリアするためには、プレイヤー自身が成長しなくてはならない。


ロマンシングサガ2では
基本は普通のRPGだが、どこでもセーブでき、代わりに敵が強いというバランス。
特に強敵の前でセーブしてしまった時は、戻るに戻れず(笑)持ちうる能力の最適化を図り、
そこでもやはりプレイヤーとしての力量が必要とされるという仕組み。
そして戦闘回数に応じて敵が強くなっていくので、常に緊張感のある戦い。
まああまりに稼ぎすぎるとやっぱり楽になるんだけど。


罪と罰〜地球の継承者〜では
デフォルトが「イージー」モードであり、それはコンテニューすれば一日でクリアできる。
やり直しになる範囲が細かく、進んでいくことが出来るから。
イージークリアで、「大体の操作はできるようになったな」と感じるのであるが、
ノーマルはその程度では全く歯が立たない難度になっている。
一箇所一箇所、どう最適化すべきか真面目に考えていかないとクリアできないが、
それができるようになると劇的に上手くなる。
そして、ノーマルがクリアできるようになると、今度は同じだけのハードルを
ハードモードに感じることが出来る(笑)。このバランスは究極。


ゼルダでは
アイテムなんていうのは、手にした瞬間から何が出来るか分かっているはず。
でも、それを実践をもって使わせる時、やはり出来たり出来なかったりする。
確かな実力が付いたら先に進める。そのバランス。
そして、既にあるアイテムの意外な使い方。
身の回りにあるものに機知を加えて目的を達成する。まさに技術の喜び。


ガチャフォースなんかは大雑把なゲームなんだが、その他の点が面白すぎるという
私の中ではちょっと特異な存在である。


まあ結局の所、良いゲームの条件は良い試験問題と一緒だな。
理解できてれば解けて、なんとなくしか分かって無い奴には再考させる。
理解している人となんとなくの奴が同じ点数になるのはとても良くない。



まあゲームというのは頭だけではなく指先でやったりするものなのだから、
勉強だけでなく習い事に近いのかもしれない。

いろいろな物に手を出す人は、問題集の最初だけ解いて別のを買うようなもので、
logオーダーの成長の最初の部分しか楽しむつもりの無い人なのかもしれない。

ちなみに覚えゲーと呼ばれるゲームは覚えればそれが理解となるので、
logよりはリニアに近い成長となる。logばかりだと人をひきつけにくいので、
そのあたりのバランスも重要になるのだろう。



そういう意味で、ピアノはゲームではないが、ものすごく「覚えゲー」の要素が強い。
そして私は覚えゲーとしてしかピアノを弾いていないのかもしれない。
作曲とかはともかく、ピアノ弾きとしての、私は。


いや、学習がリニアであっても、指とかの動きは思い通りにはいかないわけで、
所謂反射神経ゲームであれば、全体がリニアであってもよいのかもしれない。


あまりにも取り留めなく書いてしまった。
そのうちまとめ直そう。




研究室に行ったら、休日にも関わらず私含めて7人もいる(15人中)。
他の研究室はそんなことないんだけど…。
と、書いてるそばから8人目がきた。

忙しい研究室だから、というわけではないと思うのだが、
とすると居心地が良すぎるとかそういうアレか?


まあ何にせよ、別にそれが強要されてるわけじゃないし、
そういう人達なんだと思えばいいんじゃないでしょうか。




はて、自分で書いておいてなんだが、logとリニア(比例)について、
言ってることがズレてるような気がしてきた。

logの方が人をひきつけるのに向いているではないか。

むしろ今のゲームは複雑だ、と言われることが多いのだから、
それは一線を越えた人しか楽しめないという意味で、指数関数的なのではないか?

アレか、スタートラインの高さかの話か?




結局今日研究室に延べ12人も来たよ…。
いつもと同じじゃん。


レポート分かんねえと思ってたら分かった。
そして明日のテスト勉強。
暖かすぎるので上着を脱いで寒めにして、足温器だけにした。
勉強にはとてもよい。

あとは起きられるかどうか…。