芸術一般の話として

ダンスに関しては造詣が深くないというか全く知らないので,戸田恵梨香さんやPerfumeの技術がとか才能がとかいう話には触れません.つーか戸田恵梨香さんって誰ですか.

上に引いた記事を書いた人は、このダンスに微妙なこそばゆさというか、居心地の悪いものを感じてる。だけど、ぼくから言わせれば、それ自体がこのダンスの魅力を証明していることにもなると思うんだ。こそばゆく感じるのは、何かしらのインパクトを与えられている証拠だし、居心地の悪さを感じるのは、そこに抑えがたい情動を惹起させられているからなんだ。とても簡単に言うと、性欲を催させられてるってこと。その気にさせられてるんだ。


戸田恵梨香よりむしろPerfumeの踊りの方がきつい

いや,そういうことがあるかもとは思うのですが,私は劇団の公演を見に行って最初に感じる,舞台的喋り方に感じる恥ずかしさみたいな場合もあると思いますが.あれはわざとらしさと恥ずかしさが正比例してると思うので,あれが良い要素だとは全く思いませんね.テレビでマイク使えば普通の喋り方ができるわけで,あれは舞台であるが故の「必要悪」だと思いますが.(だから私は「慣れれば気にならない」というような言い方をしているし,舞台がすべて楽しめないとも思わない)

やってみると分かるけど、あれはパラパラなんかと一緒で、ちょっとの練習で誰でもできるようになるし、できたら誰でも上手く見えるように工夫された人工的な踊りなんだ。情熱とかパッションとか表現とか、そういうのをほとんど必要としない、とてもインスタントな代物に過ぎない。

ダンスというのは、その手の誤解のあるところが面白い。ファッションや音楽と一緒で、みんなから大絶賛されるものの中に、非常に価値のあるものと全く価値のないものが混在している。あるいは、みんなから拒否反応を示されるものの中にこそ、えてして大きな価値を持ったものが隠れていたりする。

これは音楽に直して言うと,「ホロヴィッツ編曲は物凄く聴き栄えするけど意外に弾きやすいんだよね」というような話で,全然その踊りを考えた事が悪くないというか良い事だと思うのですが.「カプースチンはジャズの素養が無い人が弾いてもジャズみたいに聴こえる,インスタントな代物」なんだろうか.芸術は受け取る側が感じたものがすべてだし,難しいことをやってれば見場が悪くても良いなんてのは自分が俗人じゃない事をアピールしようとしてる最俗人だと思いますが.


ショパンやリストの曲は難しく作ろうとしたから難しいのか?というと,彼らが表現したい音楽のために難しくならざるをえなかったのでしょう(「派手さ」,とかだってもちろん音楽です).わざわざ難しいことをやることがないわけではないけどそれは練習で人知れずやればいいのであって,人に見せるものは音楽が優れたものであるべきでしょう.


芸術は主観から楽しむものだと思うのです.自分が良いと思ったものに対してその理由を考えようとするのはいいのですが,良いと思うはずのものがあるんだから良いはずなんだと自分に言い聞かせるのは違うと思います.いや,この人は自分が良いと思う理由を書いてるんだと思いますが,それが他人に言い聞かせてるように見えて気持ち悪いって話なんですけど.まあ納得できなければ聞かなければいいんですが,「ダンスを知ってる自分から言うと」という言い方なものでね.