発言できないのは誰のせい

「suck_a_sageさんは自分のことが正しいと信じ込んでいるんではないですか?」というような事をよく言われるのだけど.よく言われるのかよって感じですが.どうも私に意見されると逆らえないという感覚を抱かせるらしい.


「君も自分のことが正しいと信じて発言してくれ」としか言えん.そしてそれが話し合いで物事を決めるスタート地点だ.


私も「本当は言いたいことがあった」とか「後から考えたらやっぱりこう言うべきだった」と中学生の頃はいつも思っていたし(先生が理不尽な事言ってたから),今でもその日の会話で「上手く言えなかったなあ」と夜な夜な反省する事はあるけど,「相手が高圧的で言えなかった」と思ったことは記憶の限りないなあ.いつも,自分の問題だと思っていた.中学生の時から,「先生だから言えない」とは思わず,「先生より賢くなれば言える」と思っていた.


だから,大学生の先輩後輩ぐらいで,「先輩に適うはずなんか無いんだから先輩は自重しろ」と言われると,「なんでそんな諦めてるの?」と思う.むしろ対等な大人として扱っているという意味で尊重しているつもりなのだが.大人として扱われるのが嫌か?もう大人として子供を守る歳になってるのに,守られる側でいていいと思っているのか?その人が大人であるかどうかというのは,「大人でありたい」と思っているかどうかで決まるのだと思う.


「私は実力が足りてないから発言できる立場じゃない」と思って発言できなかった事も多々ある.でもそれもやはり自分の問題なわけで,相手に恨みを持つわけじゃない.私はどんな人の意見も同じだけ尊重されるべきだとは思わない.未来永劫すべての人類が食うに困らないぐらい平和になり,生きる事が全て遊びになれば,それも有りかなとは思うが.


私は,後輩に対等に接っされたいとは思わない.なぜなら私は後輩より先を歩いていたいからだ.しかし,私と対等の実力をつけて対等に接しようとしてくる後輩を応援する.私を脅かす存在によって,私も成長できると思っているからだ.