生きる=通信

これは面白い!のだけど,本筋とちょっと違うところで,

この同じ感覚を、多くの若い人が持っていると思うんです。生命としての自分は、つまり生物学的な意味で死んでいるかどうかということは、さして意味がない。こういう情報化された空間の中では、情報として生きているかどうかのほうが重要だ。情報としての自分が残れれば、生命としての自分は別にどうでもいいんじゃないか、という感覚です。

これ,私は結構分かります.人が死のうが,その人とコミュニケーションする機会が失われるというだけで,元からコミュニケーションをそれ程取らない相手だったら,極めて軽い感傷しか持たないと思う.