ピアノ愛好会におけるコミュニケーション

昨日のコンサートの後,メンバーの知り合いの管弦の人が「これから打ち上げ?」って聞いて「いやそういうのないんだよね」って返して「なんで?」って聞かれて,「そういうサークルなんで」と返すしかなかったのですけど(笑).


まあこの時期は帰省とか諸事情があるのは事実だとしても,打ち上げが行われない一番の理由は間違いなく,一緒に食事したいほどメンバーを好きじゃないからでしょう.はっきり言うけど,私もそう思う.それでも私が食事に行ったり誘ったりするのは,「どっちでもいいかも」位の気持ちの人は行ったらいいやんと思うからだし,また自分から誘いにくい人も居るかな?と思うからなんだけど.誘ったのに人が集まらないという恥ずかしさはもう気にならなくなったので(笑).あと,全く近づかずには人間を判断できないと思うから,とかね.ダメなやつ程教育しなきゃと思うから,とか.


しかし面白いと思うのは,昨日のコンサートとか見ても,その人間関係のままでコンサートがちゃんと成立しているという事.歳いった人はつい「ちゃんとした人間関係がなきゃ仕事なんてできない」と思いがちなのだが,そんなのは昔の時代の人間のタワゴトで,人間的に好きでない人同士でも仕事はできるということをサークルをあげて実証していると言えるでしょう(笑).飲みニケーションなんて飲みたい奴が言ってるだけでしょ的な(笑).サークルとして良いかはよく分かんないけど.


昨日のコンサートのパンフとか見ても,「先輩の仕事をスタートラインにして,さらに洗練させる」ということが行われるようになってるみたいだしなあ(過去最高レベルだと思う).アナウンスの先出しとかも先進的だと思ったし.普通に感心してる.


ピアノ愛好会はダメな人の集まりだという気持ちはずっとあるのだが,実は次の時代のコミュニケーションのモデルケースとして,これから参考にされるような事が行われているのかもしれないと思った.

先輩と後輩

まあ別に好きじゃないとか書いたけど,私は先輩で彼らは後輩,ということでしかないかなーと思う.先輩は後輩が好きだからとか嫌いだからとかで人間関係を選ぶようなもんではないと思ってる.その逆の,後輩が先輩を選ぶのは別にいいかなーと思う.


先輩が後輩を追い出すのはあり得ないが,後輩が先輩を追い出すのはいいと思う.そして,本当に力関係的に追い出されるまで,先輩も残ろうとするのは自由だと思う.