本当に大事な事ってなんだろう

本当に、学校の勉強より大事な事があるとしたら、学校でそれを教えても良いと思うんだけど。「因数分解なんか役に立たない」と言う人は、確かに因数分解より先に学ぶべき事がある気がする。


学校で出来る体験には限りがあり、その中では学べない事に大事な事がある可能性はある。でも人間は本当に体験からしか学べないのだろうか。言葉を使って、実際に体験したかのように学ぶことは、少なくとも不可能ではない。


「学校の勉強より大事な事がある」と言うのは結構だ。私もそう思う。でも、ではそれが何で、どういう事をすれば学べるのか、真面目に考えた人はいないのか。体系的に、日本人皆がそれを学べるようなシステムになってないのはなぜなのか。そして、それはやろうと思えば出来る事なのだろうか。


例えば、「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれて「いけないってどういう事か(悪いことはしようと思えばできる、しないのは罰を受けて自分が損するから)」を考えさせればいいとか、そういうノウハウが蓄積されていない事を凄く問題に感じる。(「殺したければ殺して良い。罪を受けてでも殺したい人が居たら好きに殺せ」と教えるのを嫌がってるのかな。そう言わないと本質がつかめないと思うのだが)


もちろん、上記の例で言っても、大事なのはその一つの質問に答えられるという事じゃない。「(真に)強制されている事と自分で選んでいる事の違いが分かる」という能力を得るのが大事なのだ。例えばこの能力が無い人が、過労死するまで自分を追い込んで働いているのではないか?


他にも例えば「他人の自転車を盗むな」とか、そんなことすら守れないで勉強も糞もあるか、というのは自然な指摘ではないだろうか?


何かを研究し、人類に新たな知見を見出そうとする仕事に従事するのは、%で言えばごくわずかだろう。だから、専門の勉強など、したい人がすればいいのではないか。もちろん、潜在的にそういう仕事に従事する可能性のある人にチャンスを残しておく意義はあるのだが、「もっと大事な事がある」ならば、そうも言ってられないのではないか。


専門の事を学ぶことは、他の事に役立つメタ能力を得るのに役立つとされていると思う。しかし実際はその効果はかなり低いのではないか?昨日のつぶやきから引用する。

アムロ「卒論で調査能力や論理的な思考を身につける事が出来る!」

シャア「ならば今すぐ大卒全員に血液型性格診断を忘れさせて見せろ!」

学んだことが、実生活に全然応用できていない。「勉強する中で大切な物を学ぶ」ということは全然出来てないとみている。だったら、本当に大切な事に特化した方がいいんじゃないか。


私の周りの人は、恐ろしい割合で病んでいる。筑波大のようなそこそこ勉強した人が入るような大学で、就職した人が社会に出て高い頻度で病むというのは、異常事態ではないのか。こんな状況では、「学校の勉強なんて役に立たない」という発言を、馬鹿にも出来ないなと思うのである。