カンニング事件に関して

カンニングの事について色々騒がれてましたが、私はこの記事が一番しっくりきました。今日までこの件に関して酷い言論が多くて困惑していたので、これ読んでなんだかホッとしました。

京都大学は「カンニングをした学生を警察に突き出した」のではありません。入試業務を妨害された、犯罪被害者です。カンニングが目的だったとわかったのは、警察が捜査した結果に過ぎません。そして、今回のケースの犯人を処罰すべきなのは業務妨害犯だからであって、カンニング犯だからではありません。

「大学の自治」に言及する議論もありましたが、受験生は学外者であり、自治の対象ではありません。それに、仮に入試を妨害した犯人が内部の者だったとしても、問題はむしろ大きくなるので、「自治」などといって勝手に大学が処理できることではありません。(もしそんなことをしたら「隠蔽体質だ」とマスコミからさんざんに叩かれるでしょう。)

ちょっと別の論点として、「逮捕したのは行き過ぎだ」というのもあります。よく知られているとおり、逮捕というのは犯罪捜査の一環に過ぎず、それ自体は処罰ではありません。刑事罰が科されるのは、検察官による起訴と裁判所による判決があった場合で、逮捕の有無は、それと独立です。でも、そうした法律論とは別に、逮捕自体が社会的に大きな意味を持つことも事実です。それはそれとして問題ですが、ここでの論点ではないので、本件で果たして逮捕する必要があったかどうかを議論しましょう。

 逮捕というのは、「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある」場合であって、「逃亡する虞」または「罪証を隠滅する虞」がある場合に行われます(刑事訴訟法199条、刑事訴訟規則143条の3)。本件では、被疑者の少年は一時行方不明になり、ゲームセンターで逮捕されたようですから、「逃亡する虞」があったといえましょう。

 また、どこかの協会の調査にもあったように、「うっかり携帯電話を踏んで壊してしまった」などということがあっては困りますから、「罪証を隠滅する虞」もあったように見えます。

 ただ、それだけでなく、本件では、共犯者の有無を調べるためにも、差押や逮捕を含む、強制捜査が必要だったと思います。報道によると、どうやら今回のは受験生の単独犯だったようです。しかし、それはむしろ意外な結末で、捜査結果が明らかになる前は、試験場外に共犯者がいるだろうとの推測が一般的でした。

もちろん、取り調べの結果、組織的背景も共犯者もなさそうだとわかってきたわけですが、それはあくまで結果としてわかっただけです。事前にはわからなかったのですから、そもそも逮捕をしたのを否定する理由にはなりません。この点についても、逮捕を処罰と同視する議論、受験生の単独犯だったということを前提とする単なる結果論が多くて、残念でした。(「逮捕は相当だったが、すでに目的は達したのだから早期に釈放すべきだ」という議論ならばもっともなのですが、なかなかそういうのにはお目にかかりません。)

 入試というものが社会で大きな役割を占めているのはわかりますので、入試業務の妨害という犯罪そのものについて報道するのは、理解できます。しかし、受験生の単独犯であり、共犯者も組織的背景もないと判明した段階で、報道価値はほとんどなくなったと、私は思います。聞くところでは、本人の出身地、出身高校や予備校、さらに家族関係や恋愛遍歴のたぐいまで報道されているとのことですが、まったく不当としか言いようがありません。

 私立大学数校での犯行を繰り返したあげくの常習犯であり、しかも携帯電話を用意したうえで、監督者の指示に反して隠し持ち、密かに長文を入力するという手口だったわけで、今回の犯罪行為について同情の余地はありません。大学人として、彼の行為を大いに憎みます。しかし、だからといって、本人のプライヴァシーを蹂躙してよいはずがありません。