神は細部に宿る?

私の弾き語り暦は

となったわけですが、2曲をやって感じた違いについて述べたいと思います。あ、弾き語りって言ったけど、単に歌だけの話です。


ピアノ曲について昔から言ってるんですが、「この曲は弾けただけで拍手喝采」って曲と、「こまかく表現しないと評価されない」曲ってのがあるんです。私は普段前者のような曲に挑戦してる事が多いです。黒鍵のエチュードとか、カプースチンのトッカティーナとかね。ただ、自作曲とかは後者ですね。実は私は後者の方が得意なのかも…と思ったりもしますけど、まあそれは置いといて。


で、弾き語りの最初に選んだ「はじまりの歌」は、「分かりやすく難しい曲」なんです。音域も広いし、音程上下しまくるし。でも、だからこそ、「それさえちゃんとやれば映えるだろう」っていう計算で選んだんです。幸い私は音域はそもそも広いし、楽器経験者だから、楽器みたいに音が動く曲を練習しやすい(多分)。自分に有利だろうと思ったんですね。


そして今回の「星に願いを」ですが、この曲を聴いて「歌うの難しそうだ」とはみんなあまり思わないんじゃないでしょうか。私は思いませんでした。なので、最初一ヶ月ぐらい歌ったところで大体歌えるような気になっていたのですが…。なんかつまらないんですね。困ってしまって、何が違うんだろう…と聴き込みはじめると、もう細かいレベルでは全然違ったんですね。


多分ピアノ譜として譜面にするなら、同じメロディーになるような違いなんです。例えば出だしの「君が」ってのだけをみても、「きみが」って感じで4つ目の音を発音してる(がと同じ高さで)とかそんなんです。あとは「駆け出した」なんかは、「かけだした」なんですけど、「けえ」「たあ」で音が下から上に上がってたりします。


その他、伸ばす音の中の音量の大小とか、ポルタメント(音程を連続させてつなぐ)とか、ピアノには無い要素にもなかなか意識がいかず、苦労させられました。


そういうレベルで細かく細かく修正していくと、少しずつ自分で歌ってても気持ち良いと思えるようになっていったと思います。「あるときこれを変えたら激的に良くなった」というような感じでは無かったです。ほんとうに、思いつく限りなおしていくうちに、ふと気が付くと「ああ、ちょっとマシになったかも」と思うような感じでした。


というわけで、はじまりの歌に比べて、星に願いをの方がずっと苦労した印象となりました。しかし後にやる場合自分の要求水準が上がってたりするので、今はじまりの歌を歌ったらそれはそれで大変だと思います。もちろん、ピアノアレンジの難しさも桁違いにしてしまったので、そのせいでもあります。


しかしまだまだどう歌ってるのか分からなくて迷ってるところもあるし、音は取れてるつもりでもそれを歌として再現できないところもあるし(笑)、改めて奥深いなあと思いましたね。「歌唱力」ってなんなんだろうみたいなね…。少なくとも、感情がそのまま表現になったりはしてないなと思いましたね。その辺はある意味ピアノと一緒ですね。


演奏するって事は、その曲を味わう手段なのかなあとも思いましたね。そんなの常識かもしれませんけど(笑)。聴くだけじゃ分からない事が分かりますからね。凄い人は聴くだけでも分かるのかもしれないけど。あと、やっぱり一つの曲をじっくり観察すると、耳が鍛えられるというか、見るべきところが分かってきて、他の歌も細部とかが捉えやすくなってきたような気がします。でも歌を再現する能力(喉の方)はそんなに変わらない気がします(笑)。

良い曲ですね

演奏して「良い曲ですね」とか「歌ってるの聴いて、(原曲の方を)聴くようになりました」とかいう話をいただけて、凄く嬉しかったです。私自身も、凄く好きだから選んでるわけでしてね。ごてごてしたアレンジではあったけど、あれもなんとか原曲の雰囲気を出そうとしてやったことなので、過剰だとか邪道だとは思ってません。むしろCメロとかまだ物足りないと思ってる…。難しすぎて諦めたけど。



しかし一つの曲をこんなに長く楽しめる事を考えると、普段は音楽というものを「消費」し過ぎなのかなあと思ってしまいました。消費してくれないとアーティストの方も困るんだろうけど…。JPOPってみんな同じようだとか揶揄されがちですけど、それにしたって、創るという事と聴くという事の隔たりを意識して、創る側への敬意とかを持つべきなのかな、と思いましたね。