差別されたくないことと、差別をなくしたいことは対立する

「差別をやめよう」という言葉には、どうやら似ているようで全く異なる二つの意味がある。一つは「差別すること自体をやめよう」という意味で、もう一つは「差別はあってもいいが、(自分やその他の具体的な誰かを)その対象にするのはやめよう」という意味だ。

 

この二つの関係は、対症療法と根治療法の関係に似ていると思う。

 

ある症状に対して対症療法と根治療法があるとして、その二つはしばしば相反する手法となる。なぜなら、症状というのはなんらかの原因に対する身体のSOSであることが多いので、症状を抑えるということはそのSOSを無視して、原因を放置することに繋がりがちだからだ。その場合、放っておかれた原因は悪化して、いつかは対症療法ではしのぎ切れなくなるかもしれない。そんなわけで、「対症療法が根治を遠ざける」というのは割と普遍的な法則だと思われる。

 

しかしこのことは、しばしば困った事態を引き起こす。対症療法と根治療法は一見すると正反対の方法に見えるので、対症療法を薦めている人と根治療法を薦めている人がいるとして、その人達が自分の薦めている治療法が対症療法であるか根治療法であるかを意識していないと、相手は全く間違った治療法を提案しているように見えてしまう。そうなったら、相手の手法を阻止しようとするだろう。そうして、対症療法を薦める人と根治療法を薦める人とで、議論が食い違うようになってしまう。

 

それと同じことが、差別についても起きているのだと思う。

 


 

人と話していると、「自分の好きなものが相手に否定されて嫌だった」という話題によく遭遇する。twitterでも、「自分の好きなものの話をしたら知らないって言われたので、絶対自分の方が正しいと思うので、知ってる人RTお願いします」というようなツイートがよくRTで流れてくる。RTでよく流れてくることからも分かるように、こうした言い方は一種のウケるテンプレみたいになっている。ここには「正常(マジョリティ)なのは相手の方で異常(マイノリティ)なのは自分の方だ」と言われて辛かったので「正常なのは自分の方で異常なのは相手の方だ」と認めて欲しい、という心の動きがある。

 

しかし、自分が異常者扱いされるのを回避するために相手を異常者扱いしてしまったら、それは結局差別を解消するという点では進歩がない。自分やその仲間は否定されるのを逃れられるかもしれないが、新たな被差別者を生んでしまっているという意味では収支はトントンだろう。

 

これは多くの人にとっては聞きたくもない嫌な話かもしれないが、自分の正しさを多くの他者が支持してくれないと安心できない人というのは、自分がマジョリティ側に入れないと不安な人で、それは意識としてはマイノリティは排斥されて当然だと思っているという、潜在的にマイノリティを排斥する側の人間なのだと思う。そうではなくて、差別を根本的になくすには、そもそも何が好きでも嫌いでも正常だとか異常だとか思わないようにならないといけない。

 

ただし、上記の例でも分かるように、差別するということは、周りの人と団結することを促す手段であるし、それによって自己肯定感も得られていい気分にもなれるという結果も生む。そういう手段を手放すのは容易なことではない。それを安易だと批判したところで、損をするぐらいならその方法を取らない、という選択をするのは自然だと思われる。

 

例えば私達は、どんな時でも客観的な評価をしてくれる友人が欲しいだろうか。無条件に自分を肯定してくれる友人の方が欲しくないだろうか。どんな時でも客観的な評価をしてくれる友人は、そもそも友人なのだろうか。敵でも味方でもない人間は、つまり他人ではないだろうか。差別しない人間になるということは、そういう人間になるということだ。

 

逆に言えば、人と仲良くするということは差別そのものである。教育界隈では、学校の(学級の)「みんな仲良くしましょう」という圧力こそがいじめを生んでいるのだとよく指摘される。いじめを減らすには、他者に対して無関心になる必要があるのだ。それを分からずに、仲が悪いのだから仲を良くするようにしようと考えてしまうと、状況は悪化してしまう。

 

差別のない世界というのは、そのような寂しい世界だ。しかし、そういう世界で楽しく生きる方法もなくはない。例えば、自分で自分を肯定し続けることができれば、他者が何を言ってきても楽しく過ごすことが出来る。あるいは、ただひたすら他者にとって有益な存在であり続ければ、他者はその人をひいきしなくても好きになれるので、人に好かれることもできる。しかし、そのような生き方は大変であるし、全員が出来るわけではない。言い換えると、差別を無くすには、全員が全員にとって有益な存在になる必要がある。西洋の近代的な「個人」というのは、そういう世界を望んだ人達が考えた概念だったのかもしれない。…そして私は、この考えには無理があったのだと考えている。

 


 

話が大きくなってしまった。冒頭の話に戻ってまとめてみよう。

 

差別されて、「自分は差別されるべき存在ではない」と主張するのは、対症療法であり、差別そのものを無くすどころか実際は助長している。差別を根治するには、他者による無条件な肯定の無い世界で楽しく生きるだけの能力が要求される。そもそも自己肯定感が低いから周囲の承認を必要としているのであるから、対症療法が必要な人にそのような生き方を薦めても、多くの人は耐えられないだろう。

 

あまりスッキリした整理にはならなかった気がするが、対症療法と根治療法が対立しており、全く正反対のアドバイスが投げかけられがちである、という構図が生まれていることは言えるのではないかと思う。

 

話がややこしくなったのは、差別には「不治の病」という条件が入っていたからだろう。癌の治療薬が正常な細胞にもダメージを与えるように、差別をなくそうとすることは、私達から活力を奪ってしまう。そのような問題に対しては「今は対症療法をするしかないけど、できれば根治療法に移りたいね」という話すら成り立たない。騙し騙し、病と共存する覚悟で付き合っていくしかないということなのだろう。

 


 

さて、なんでこんな話を熱心にしているのかというと、この「対症療法と根治療法は正反対になりがち」という法則が、いろんな問題を解き明かすカギになると思ったからだ。

 

私の見るところでは、世の中的に「専門家同士の言うことなのに正反対のことを言っていてどっちが正しいか分からない」という事態が頻発していて、みんな判断に困っている。そういう場合に、「こっちは対症療法に必要な話をしていて、こっちは根治療法に必要な話をしているのでは?」という物差しを当ててみると、スッキリ理解できるケースが多くあるように思うのだ。

 

例えば、「うつになる人は真面目な人」と言われることがある。これは、うつになった人を慰めて落ち着かせる効果があるが、一方で、真面目であるということを良いことだと思い込んでいると、うつになることは正しかったのだと思わせて、うつから抜け出す気持ちすら削いでしまう可能性がある。こういう言葉は、対症療法的に用いられるべきで、用法用量を守って使わなくてはならない、というような議論が出来るようになる。もちろん逆のことも言えて、今その時を乗り切る余裕がない人に、根治の方法ばかり薦めるというのも残酷だ、という議論が出来るだろう。

 

こういう「意見が対立しがちなパターン」というのはいくつかあると思うが、その一つとして、使いこなせるようになる価値があると思ったのだ。

 

最後に余談として、対症療法と根治療法が一致するケースについて。

 

当たり前だが、対症療法と根治療法はいつも相反するわけではない。例えば、人間にとって「痛み」というのは対症療法がそのまま根治療法になることがある。痛みというのは基本的には危険を知らせるシグナルであり、安易に消してしまうのは危険だと思うだろう。しかし一部の慢性痛は「痛み自体がトリガーになって痛みを引き起こす」という人体のバグみたいな仕組みによって起こるらしく、そういうケースでは対症療法的に痛みを和らげることで、慢性痛も和らぐらしい。これをもう少し一般化すると、依存症のようなスパイラル構造(正のフィードバック構造)が出来てしまっている場合では、対症療法が根治療法と一致する、というようなことが言えるだろう。

 

 


(2018/04/18 追記)

「対症療法と根治療法が対立する場合って具体的にはどういうものなのか良く分からない」とのコメントをfacebookの方でいただいたので、例を考えてみました。

・教育

手取足取り教えると短期的には強いけど、荒波に放り込まれたような人の方が長期的には深みが出て来る

 

・(教育の具体的な例として)高校の体育会な感じの吹奏楽

コンクールで勝つために短期的に成果が出る方法ばかりに特化してしまって、音楽を生涯楽しむ人を育てにくくなってしまう(偏見だったらすいません(笑))

 

・(逆に教育の抽象的な例として)効率化と視野

何かを効率化して早く出来るようになるということは視野を狭めることで、現状を疑うことを難しくする(イノベーションが阻害される)。逆に視野を広げすぎると目の前のことに手が付かなくなる

 

・関税とか補助金とか

特定の産業を守る目的で有利な環境を作り出してしまうと、甘えてしまって(あるいは優遇される対象として相応しい状態を維持しようとするために)長期的には時代遅れになってしまう

 

・自己の確立

自己への承認を満たすために、他者からの承認がなくて当然だと気付くことで、自分で自分を承認できるようになるのだが、他者からの承認を得続けることが出来てしまうとそれが難しくなる

 

・「対症療法と根治療法」なので、まさにそれにあたる身体の反応色々

  • 風邪の時に解熱するとウイルスが倒せないので治りが遅くなる
  • シャンプーは皮膚の油を落とすが油を落とし過ぎると身体が足らないと判断して多く分泌するようになる
  • 高血圧の人の降圧剤とか、糖尿病の人のインスリン注射とかは対症療法でしかないのに、持続的に用いる前提になっててヤバイ…と私が読むような本には書いてあるんですが、ほんとのとこどうなんでしょう
  • 寝る前に時計の音が気になってしまうように、刺激が少なすぎると感度が上がってしまって体感の音量が大きくなってしまう。逆に少しの音、カフェの環境音などがあると落ち着く。刺激の適切な量という意味で、これの同様の例がいろいろあるかも?

 思いつく限り挙げてみたんですが、こんなんでどうでしょう?

差別されたくないのか、差別をなくしたいのか

ツイートしたもののまとめ。


「対処療法と根治療法があるとして、対処療法によってむしろ根治が難しくなる時に、自分のやろうとしていることが対処療法であるか根治療法であるかを見定めないと議論のすれ違いが起きる」みたいな話をしようと思っている。


twitterを見ていると、自分の好きなものが否定されて嫌だった、という話題がたくさんRTされてくる。別にtwitterに限らずとも、人と話していてもそういう話題はたくさん出て来る。でも私はそういう話を聞いても「人に否定されたからって、それが何よ?人の好みは違うじゃん?」ぐらいに思っている。


もっと言うと、みんなが私の事を間違ってるって言ったって、私が自分で正しいと思ってたらそっちの方が多分正しいだろうと考えると思う。これは、そう思えるぐらいに、自分の支持者もそれなりにいるからそうできる、という面があるのは否定しないですが。味方ゼロだったらさすがに無理かも。


で、すごい嫌なこと言うけど、自分の正しさを多くの他者が支持してくれないと安心できない人というのは、自分がマジョリティ側に入れないと不安な人で、それは意識としてはマイノリティは排斥されて当然だと思っているという、潜在的にマイノリティを排斥する側の人間なのだと思う。


私は自分がマイノリティであることを怖がってなどいないし、人をマイノリティだからと馬鹿にする気持ちも無い。その二つは連動しているのだ。マイノリティであることはなんら悪いことではないと自分で思い込んでいれば、マイノリティに分類されることは怖くなくなる。


「差別は良くない」という言葉は二つの意味で使われている。一つは、差別すること自体が良くないという意味。もう一つは、(自分なり他者なりが)差別される対象になるのが良くない、という意味。


「自分の好みがマイナーである」と言われたくない、そしてそれをマイナーではないと証明しなくてはならない、というのは、マイノリティへの差別があること自体は肯定したうえで、自分はその対象ではないはずだと主張している。私はマイノリティへの差別自体を否定している。


そして、この二つの方法は、基本的に逆方向を向いており、同時に両方を行うことが出来ない。私のやろうとしていることは根治療法であり(望ましいかはまた別)、多くの人のやろうとしていることは対処療法で、対処療法が根治を難しくしているのだと思う。


若くして癌で亡くなった友人が居る。彼は、若かったこともあり、根治を目指した治療をし、最後には「根治にこだわり過ぎた。癌との共存を目指すべきだった」と言っていた。人にとって差別心を根治するというのは、それに近い、危険なことのような気がする。ということは心に留めておきたい。(終)


ちなみに、対処療法はいつも根治を妨げる、というわけではもちろんない。私が知る限りでは、対処療法が根治に繋がるっぽいものとして、「痛み」ってのがあるっぽい。


この本…詳しくは読んでも分かんなかったが、痛みそれ自体が刺激になって痛みを生むバグみたいなのが人体にあるらしいので、対処療法的に痛みを和らげると慢性痛もやわらぐとかそんな話だった気がする(違ったらゴメン)。


痛覚のふしぎ 脳で感知する痛みのメカニズム (ブルーバックス)
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XPF12GN/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

授業「情報科学」の参考文献-第5部

キーワード:評価経済,知識経済,マズローの欲求5段階説,宗教改革,資本主義,古代都市国家反証主義ルネサンス

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●情報革命
☆ぼくたちの洗脳社会/ 岡田斗司夫
○富の未来 / アルビン・トフラー
○フラット化する世界 / トーマス・フリードマン
○カネを媒介としない新しい経済ー21世紀の評価経済論 - elm200 のノマドで行こう! http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120222/1329878220
☆「情報を売る」時代の終焉 - elm200 のノマドで行こう! http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120224/1330048857
○カネの時代の終わり | iwatamの個人サイト
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/column/37/index.html

●世界史
☆137億年の物語―宇宙が始まってから今日までの全歴史 / クリストファー・ロイド
☆サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 / ユヴァル・ノア・ハラリ
☆知の歴史―ビジュアル版哲学入門 / ブライアン・マギー
☆人類の歴史を変えた8つのできごとI,II / 眞 淳平
☆銃・病原菌・鉄 / ジャレド・ダイヤモンド
○世界史 / ウィリアム・H・マクニール
○人類史のなかの定住革命 / 西田 正規

●宗教
仏陀の観たもの / 鎌田 茂雄
イスラームの日常世界 / 片倉 もとこ

●その他
☆近代医学のあけぼの / ユルゲン トールヴァルド
○本の歴史 「知の再発見」シリーズ / ブリュノ ブラセル
○もうすぐ絶滅するという紙の書物について / ウンベルト・エーコ ,ジャン=クロード・カリエール
○森林飽和―国土の変貌を考える / 太田 猛彦
☆われはロボット / アイザック・アシモフ
☆科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる / 戸田山 和久
☆羊皮紙工房http://www.youhishi.com/

ぼくたちの洗脳社会/ 岡田斗司夫

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)

授業「情報科学」の参考文献-第4部


キーワード:ネットワーク,検索エンジンソーシャルネットワーク,デジタル著作権罪刑法定主義

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☆自由か、さもなくば幸福か?: 二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う / 大屋雄裕
○人間にとって法とは何か / 橋爪大三郎
1984年 / ジョージ・オーウェル

☆ビットとアトムのはざまで - アンカテ
http://d.hatena.ne.jp/essa/20111105/p1
☆ネット世代の心の闇を探る | iwatamの個人サイト
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/kokoro/index.html

☆自由か、さもなくば幸福か?: 二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う / 大屋雄裕

○人間にとって法とは何か / 橋爪大三郎

人間にとって法とは何か (PHP新書)

人間にとって法とは何か (PHP新書)

1984年 / ジョージ・オーウェル

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

☆ビットとアトムのはざまで - アンカテ

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☆ネット世代の心の闇を探る | iwatamの個人サイト

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授業「情報科学」の参考文献-第3部

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本タイトル 著者
誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論 D. A. ノーマン
「分ける」こと「わかる」こと 坂本健三
構造主義進化論入門 池田清彦
分類という思想 池田清彦
デザインの教室 手を動かして学ぶデザイントレーニン 佐藤好彦
レイアウト、基本の「き」 佐藤直樹
超芸術トマソン 赤瀬川原平
「物」と「場所」の意味論―「大きい」とはどういうこと? 久島 茂

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論 |新曜社 | D. A. ノーマン|

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

アフォーダンスという概念を広く知らしめたのはこの本…の改訂前のもの。前の本ではシグニファイアは出てこなかったんだけど、色々とツッコミを受けて、シグニファイアの概念を導入することにしたそうだ。というわけで、読むなら是非この増補・改訂版を読みましょう。…ただし、私が授業で説明した、「情報の発信者がデザインに与える意図がシグニファイア」で「情報の受信者がデザインに感じる意図がアフォーダンス」という説明は、私が勝手に整理したものです!なので、この本を読んでも多分そうは書いてない。多分と言うのは、私が現在まだほとんど読んでないから分からないということなんだけど。そういう意味では、岡田の言ってる事が無茶苦茶なのか、岡田の整理の方がずっといいのか、判断するために読んでみてもいいかもね?

「分ける」こと「わかる」こと | 講談社学術文庫 | 坂本健三|

「分ける」こと「わかる」こと (講談社学術文庫)

「分ける」こと「わかる」こと (講談社学術文庫)

この本は、結論として以下の三つを挙げている。

1.分類は認識や行動のために人間がつくった枠組みであって,存在そのものの区別ではない。
2.分類をつくる際には,かならず「その他」や「雑」の項目をおいておくことが有用である。
3.「わかる」とは,その分類体系がわかるということであり,「わかり合う」とは,相互に相手の分類の仕方がわかり合うことである

このまとめは素晴らしいと思った。では、この本全体が素晴らしいかと言うと…。この本は、古今東西の分類について紹介していて、それぞれのトピックが結局どう関連しているのかは良く分からないように思う。分かるのかもしれないが、私が一度読んだ限りではあまり印象に残らなかった。でも結論の章だけでも価値があるんじゃないかな。

構造主義進化論入門 | 講談社学術文庫 | 池田清彦|

第一部の読書案内で挙げた「構造主義科学論の冒険」の作者の本。現在の進化論の主流はネオダーウィニズムと言うらしいんだけど、それだけじゃ説明できないことがたくさんあるので、進化ってもっと違う形なんじゃない?というような主張の本。その中で情報に関する話題が出て来る。DNAは、実際に書かれた記号だが、記号の意味はそれがどう読み取られるかという解釈系があって初めて決まるのであって、記号列だけ見ていても生物のことは分からないのではないか?というような話。

分類という思想 | 新潮選書 | 池田清彦|

分類という思想 (新潮選書)

分類という思想 (新潮選書)

上と同じ作者の本。これは、分類とは何か、分類とはその人の思想の表明だ、ということを論じた本。全ての分類は人為分類(世の中にもともと分類があるのではなく、人が分類したから分類がある)ということを強調している。上の『「分ける」こと「わかる」こと』でも結論は同じだが、この本はそのプロセスがちゃんと書いてある。だからオススメなんだけど、結構難しいかも。

デザインの教室 手を動かして学ぶデザイントレーニング | MdNコーポレーション | 佐藤好彦|

デザインの教室 手を動かして学ぶデザイントレーニング(CDROM付)

デザインの教室 手を動かして学ぶデザイントレーニング(CDROM付)

良いデザインって何かと考えると、結局のところ、人間が上手く情報を読み取れるのが良いデザインなわけです。とすると、良いデザインの根拠は、人間の感じ方にあるということになる。そういうことをズバッと書いてある。デザインって、カッコいい絵を描いたりするだけではなくて、紙やパワポのスライド上で要素をどう配置したらいいのか?みたいなことでもあるので、皆さんにも関係あると思うのね。ちなみに、私は手を動かすところまではやってないです。そういう人には、同じ作者の「デザインの授業」ってのの方が良いのかもしれないけどまだ読んだことないです。

レイアウト、基本の「き」 |グラフィック社 | 佐藤直樹|

増補改訂版 レイアウト基本の「き」

増補改訂版 レイアウト基本の「き」

特に文章の配置について詳しく書いてある。例えば行間と行長はセットで考える、なんてのは、実物を見てみれば一目瞭然です。
デザインの本って凄くカラフルな絵が入ったものが多いんだけど、やっぱ私が使うものの基本は文章なので、文章のレイアウトについて詳しく書いてある本はありがたい。

超芸術トマソン | ちくま文庫 | 赤瀬川原平|

超芸術トマソン (ちくま文庫)

超芸術トマソン (ちくま文庫)

これは凄くバカバカしい本です。

「物」と「場所」の意味論―「大きい」とはどういうこと? | くろしおカイブックス | 久島 茂

「花壇の広さ」と「ハンカチの広さ」という言葉を比べると、ハンカチに対しては「広さ」という言葉は不適切で、「大きさ」などと言うべきな気がする。これは、花壇というのは「場所」で、ハンカチというのは「物」だから、ということらしい。そんな話から始まって、言葉が持つ属性の不思議な理屈について掘り下げていく本。例えば「長い顔」とは言うが、その反対の「短い顔」とは言わない。これは、顔の標準の状態が「丸い顔」あるいは「四角い顔」であって、そこから変化した状態が「長い」であるから、なんだって。

授業「情報科学」の参考文献-第2部

第二部のメインテーマは「情報とコンピュータ」のつもりでしたが「デジタルとアナログ」というタイトルの方が適切だったかもしれません。この部分は、私は大学で専門教育を受けたので、どこかの授業で学んだという感じで、どの本が良かったということをあまり思い出せないので、あまり挙げられる本は多くありません。


キーワード:情報理論,2進数,bitとbyte,デジタルとアナログ,標本化と量子化,符号化と復号,ノイズ,情報量と冗長性,エントロピー,暗号,情報圧縮

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本タイトル 著者
冗長性から見た情報技術―やさしく理解する原理と仕組 青木 直史
暗号技術入門 第3版 秘密の国のアリス 結城 浩
数学の考え方 矢野健太郎
情報論I 瀧 保夫

冗長性から見た情報技術―やさしく理解する原理と仕組み / 青木 直史

冗長性から見た情報技術―やさしく理解する原理と仕組み (ブルーバックス)

冗長性から見た情報技術―やさしく理解する原理と仕組み (ブルーバックス)

シラバスで授業の参考図書に挙げていた本。大学図書館にもあるが禁帯出のようだ。安い(886円)から買ってもいいのではと思う。その名の通り、色々な情報技術を冗長性の観点から紹介している。なかなか良くまとまっていて、情報が専門でない人達向けの説明として必要十分な感じでいいと思う。私もいくつか説明の例として参考にさせてもらった。

暗号技術入門 第3版 秘密の国のアリス / 結城 浩

暗号技術入門 第3版

暗号技術入門 第3版

数学ガール」の作者の本。分かりやすい説明で定評がある。平易な文体で書かれているが、なかなか鋭い指摘に溢れていて含蓄がある。授業ではほとんど触れられなかったのだが、情報技術はかなり暗号技術に支えられているので、暗号技術が分かると結構いろんなことが分かる。特に、RSA暗号に代表される非対称暗号は物凄い発明で、これが無かったら今のインターネット成り立たない。ただ、この本はとても詳しく書いてあって勉強するにはいい本だと思うのだが、非専門の人にはここまでの知識は必要ないかもしれない。第3版には最近話題のブロックチェーンについても書いてあるみたいなので、もし読むなら新しい奴を。

数学の考え方 / 矢野健太郎

授業でも古代エジプトの数字などを取り上げたが、この本の序盤の、数の起源とかのところを参考にさせてもらった。後半は私もあまりちゃんと読んでないのだが、数学の各トピックの歴史的な経緯について触れているのが特徴かな。作者は有名な数学者。

情報論I / 瀧 保夫

情報論 1 情報伝送の理論 (岩波全書 306)

情報論 1 情報伝送の理論 (岩波全書 306)

これは私が大学生の時に「情報理論」という授業の教科書として買ったもの。教科書にしてはB6と小さいサイズだった。情報理論というのは普通は情報通信の理論のことを指すんだけど、それは情報通信の分野が最初にきちんと理論化されたことの名残なのかなと思う。そしてそれを成し遂げたのはシャノンという情報学者。私自身は授業のために参考にしたけど、皆さんにはここまでの内容は必要ないかもね。

授業「情報科学」の参考文献-第1部

第一部のメインテーマは「情報とは何か」でした。その中で、人間が世界を認識するとはどういうことかについて色々話をしました。この話について考えを深めるためには、センサーである身体の仕組み、現象を作り出す脳の仕組み、そして世界を切り取る言葉の仕組み、などの様々な面について見ていく必要があるでしょう。


キーワード:記号論記号学,認識論、哲学、科学哲学、認知科学認知心理学

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本タイトル 著者
進化しすぎた脳 池谷裕二
単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二
図解・感覚器の進化―原始動物からヒトへ水中から陸上へ 岩堀 修明
象形文字入門 加藤一朗
レトリック感覚 佐藤信夫
科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる 戸田山和久
構造主義科学論の冒険 池田清彦
超解読!はじめてのカント『純粋理性批判 竹田青嗣
はじめての構造主義 橋爪大三郎
ソシュールの思想 丸山圭三郎
姑獲鳥の夏 京極夏彦
  • や:やさしい
  • 難:むずかしい
  • 薦:おすすめ

進化しすぎた脳 / 単純な脳、複雑な「私」/ 池谷裕二

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス)

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス)

脳学者の池谷祐二さんによる二冊。脳についての授業を高校生にしたときの講義録となっている。元が高校生向けだから凄く分かりやすいんだけど、授業を受けている高校生達も異様に賢くてビビる。二冊は似た内容で続編みたいな感じ。ちなみに「進化しすぎた脳」が先で、そっちだけ図書館にあるみたい。「我々の見ている世界は脳内のイメージ」だとか「意識の前に無意識が動いている」とかそういう我々の認知の基本になるようなことを、ひとつひとつ実験を紹介して分かりやすく説明しています。個人的に好きなのは「人に好かれたかったら、自分がお願いを聞いてあげるより、相手にお願いを聞かせる方が良い」っていう話。自分が相手のために何かしてあげたっていう事実があると、気持ちのつじつまを合わせるためにそれは相手を大切に思っているからだって思っちゃうんだってさ。先生も学生にキツイ課題をやらせた方が好かれるのかな?

図解・感覚器の進化―原始動物からヒトへ水中から陸上へ / 岩堀 修明

我々は五感をセンサーにして世界の情報を得て脳内世界を作っている。じゃあセンサーである感覚器が違ったら世界はどのように見えるんだろう?そういうことを考えるには、感覚器が昔はどうだったとか、他の動物ではどうなのかとか、そういう事がヒントになると思うんですね。例えば「眼が無い動物は何も見えない」というのは本当だろうか。人間は眼の奥に光を感じる細胞があるから世界が見えるわけだけど、その細胞が眼の奥以外の場所、例えば体表にあると何が見えるのだろうか?ミミズとか、そんな感じじゃない?

象形文字入門 / 加藤一朗

象形文字入門 (講談社学術文庫)

象形文字入門 (講談社学術文庫)

授業で紹介した「ネイティブアメリカンの手紙」はこの本で知りました。象形文字の話は、絵文字が文字に代わった初期の例として参考にしました。「絵文字と文字の決定的な違いは、文字には発音(読み)が対応していることにある」とかいう主張がさらっと書いてあるけど、鋭い指摘かも。ちなみに象形文字の具体的な説明もあるけどそこはほとんど読んでないです。

レトリック感覚 / 佐藤信夫

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

我々は普段から言葉を使って話したり書いたりしているわけだけど、言いたいことをなんて言えばいいかすぐ分かるかというとそうでもない。それは言葉というものが有限なのに対して、表現すべきことは無限に複雑だから。この本ではレトリックを、直喩・隠喩・換喩・堤喩・誇張法・列叙法・緩徐法、と分類して紹介しているけど、こうした表現技法はただ文章を飾ったりするという「普通の文章にプラスアルファする」ためにあるのではなくて、そもそも「伝えたいことを文章にすること自体」に必要だと主張している。「有限な言葉で無限のものごとを表現するには、その都度表現自体を創造する必要がある」とでも言うのかな。言葉の不思議についての興味が湧く本です。

科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる / 戸田山和久

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

  • 作者:戸田山 和久
  • 発売日: 2005/01/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

科学って何なの?という疑問についての入門書の決定版(だと思う)。対話形式で書かれていて非常に読みやすい。科学って何なの?って問いは「知るって何なの?」とか「ただ一つの外部世界って存在するの?」みたいな問いと繋がっている。科学哲学についての基本的な論点を知るのに最適。ちなみに理系のリカちゃんと文系のテツオくんっていう学生の登場人物が出てくるんだけど、物分かりが良すぎて笑う。

構造主義科学論の冒険 / 池田清彦

構造主義科学論の冒険 (講談社学術文庫)

構造主義科学論の冒険 (講談社学術文庫)

この本は「科学哲学の冒険」の後に読むといいと思う。科学哲学の本であり、認識と言葉の関係についての本です。なおタイトルが「○○の冒険」と似てるのは多分偶然。この本の内容が私の授業で話した認識問題の話に一番近いと思う。実は外部世界が実在していると仮定しなくても科学(共通理解)は成立するんだ!っていう話です。授業ではあまり深入り出来なかったところまで書いてあります。昔の哲学者がどんなことを言ってきたのか、というまとめとして読んでもかなり良く出来ている。

超解読!はじめてのカント『純粋理性批判』 / 竹田青嗣

カントの「純粋理性批判」は名前ぐらいは聞いたことあるかな?認識の話をするとどんな本でも引用される本です。カントはそれまでの西洋哲学の総まとめかつ新スタートみたいな重要な位置にいるっぽくて、どうも避けて通りれないみたい。でも原著の日本語訳でもハードルが高すぎる(私にとっても)。なので、新書でざっくり解説してくれているこの本が助けになる…のだが、それにしてもまだ難しいと思う。他の本でカントが出てきてどうしてもそこをちゃんと分かりたい…という人にのみオススメ(私のことです)。

はじめての構造主義 / 橋爪大三郎

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

この本は、本当に「構造主義って何?」ということだけを説明した本なんだけど、本一冊使ってそれだけだってのが逆に凄いと思うのね。普通の本って色々なことを雑多に説明するものじゃないですか。もちろんこの本でも色々な話が出てきて、しかもそれらもかなり面白いんだけど、それらは最終的に一つの事を説明するために必須のパーツだけで構成されている。丹念に議論を積み重ねることで初めて見えるものがある、という学問の醍醐味が体験できる本です。

ソシュールの思想 / 丸山圭三郎

ソシュールの思想

ソシュールの思想

ソシュールの思想 (丸山圭三郎著作集 第I巻)

ソシュールの思想 (丸山圭三郎著作集 第I巻)

  • 発売日: 2014/03/26
  • メディア: 単行本

ソシュールという人は記号学の開祖です。なお記号論の開祖はパースですが、記号学記号論が何が違うのか未だに良く分からねえ。それはそうと、これはそのソシュールについての日本人による解説本です。ソシュールは元々言語学者で、ある言語(日本語とか英語とか)についての研究ではなく、「一般言語学」として、それらに共通する言語の特徴を研究していて、それが後に記号学と呼ばれるようになったようです。この本は日本人による解説だけど、ソシュール自身がまとまった本を出したわけではないのでかなり自力で読みとってまとめた本らしく、色んなところで引用される重要な文献です。…ということで私も読んでるんだけど、まだ道半ばなんだよね。

姑獲鳥の夏 / 京極夏彦

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

タイトルは「うぶめのなつ」と読みます(読めないと検索できないし)。これは学術書じゃなくて小説。だけどそのテーマは「認識」。その人の世界はその人の認識するもので出来ている、ということがいろんな角度から語られる。なので、勉強目的で読んでも参考になると思います。分厚い本だけどメチャクチャ文章が読みやすいのでスラスラ読めると思う。しかしこのウンチクを語り出したら止まらない感じ、個人的には親近感湧くけど実際身近にいたらウザいタイプだろうなあ。