ついにレポートを提出した。

が…今になって、「自己評価」欄を埋めるのを忘れていたことに気が付いた。
明日教官にメールしよう…。


明日は久しぶりにピアノ愛好会の食事に行けそうだ。うれしい。



20日に太陽が地球の周りを、とかいうニュースをとりあげたのだが、
その後結構いろいろなところでとりあげてられているのを見た。


私はとても多くの人を非難してしまったわけね。
ここを見た人も、「そんなことも知らないのか」って思った人たくさんいたと思うから。

このサイト自体、いつもそんな感じだよな。
見てる人に「お前なんか嫌いだよ」って言い続けてる様な気がする。

…正確には、そう言ってると思われてるような気がしているだけで、
そんなつもりはないんだけど…。どうなんでしょうか…。


しかし、今日はあえて言わせていただこう。
(聞きたくなけりゃ読まないだけで済んでしまうけど)
尊敬する安野光正さんが「天動説の絵本」について書いてたことを踏まえて。


私自身は、太陽が昇って降りて、とかいうことを実体験として感じる前から
「地球は丸くて」「地球は太陽の周りを回っている」ということを知ってしまっていたので
あらためてその事実に驚くことはなかったが、
それを何も知らされずに生きていたら、はたして自力で気づいただろうか?
自然に考えたら、太陽は地球の周りをまわっているではないか。
ただ知らされていないだけの状態をそんなにまずいと思うのか。


最近姉が教員試験を受けるだのと言って勉強していた際、
中学生の理科程度の問題が解けなくて私に聞いてきたのだが、その内容は
「地軸が…度傾いていて、東京が北緯…度だとすると、東京の夏至冬至の南中高度はいくらか」
というものであった。
ご丁寧にその本には公式のように「夏至の時は+、冬至の時は-…」などと書いてある。
それを必死で覚えようとする姉に、地球の公転の様子を図に書いて説明してやった。

「地軸が傾いてるんだから、夏では北半球が太陽の方向いて、冬至は逆になるよね?」
「そっかー!」
「だからここの角度とここの角度が…」
「う、うん…なんとなく分かった…」

ヤレヤレ…。


さて、小学生の4割が「太陽が地球を回ってる」と答えたのを馬鹿にしている人のうち、
上の問題が解ける大人はおそらく4割程度であろう。この程度のことが分からないで、
地球が太陽を回っているということを知っていると言えるのか。
式を知っているから問題が解ける人が、それを分かっていると言えるのか。

知ってはいるけど、理解していない、というのが一般的な答えだと思う。

私だって、何を理解していると言えるのか。
物理を専門にやっている人から見れば私なんてそこいらのおばちゃんと変わらないだろう。

知るというのは子供でもできる。
小学生にだって、知らないなら「地球が太陽を回っている」と言ってやればいい。
全国の理科教師が授業開始に週一ぐらいで「地球が太陽を回っている」とだけ言えばいい。
それだけで次の調査では小学生の9割5分が正しい答えを言うだろう。

しかし、それが理解に繋がっているかどうかは別問題である。
「知る」ということは木の葉一つであり、「理解」は木の葉がいくつもついた枝である。
「理解」にはそれについている木の葉がいくつか必要であり、
「理解」が得られればそこから別の木の葉が出てくる。
「知る」は優しく、「理解」は難しい。

数学や物理が好きな人は、その世界が一本の樹であることにしばしば感動するのである。
理解すればするほど、すべての事柄の関連性が見えてくる(らしい)のだ。


その時点で知ってようが知るまいがほとんど関係ないんじゃないの?
大体今の大人だって理解してないんだし。今後もいらないかもね?ってことね。

もちろん、私はみんなもっと理科分かったほうがいいと思ってるし、
「何かを理解するプロセス」を体験することは最重要だと思っているんだけど、
今回は、知らないことを馬鹿にする人について書いたので。

というわけで、自分が知っていることで人が知らないことを馬鹿にするのは
よしといた方がいいと思う、というのが私の結論。
特に、自分の専門分野に対しては相当謙虚にならないといけないと思う。

あと、個人的には姉みたいな人に教師になってもらいたくないというのも、結論。