あんまりいい例えじゃないと思うが、
見られたくないことを書いてる日記を「入浴」に例えてみよう。

私がどこかに隙間を見つけて、そこから入浴を覗く。
それは当然いけないことですよね。
私も「穴ふさいでないのが悪い」とは言わない。
(30日追記:普通に犯罪ですので捕まります。
 やるにしても捕まった時の覚悟をしてやります)

私は誰にも言わなければ、それを覗いてることがばれない。
まあ私が覗いてるのを見れば発覚するのは当たり前だが、
その確率はここではとても低いと考える。


私は友人に「ここ覗いてみ」と、覗きスポットを教えた。
では、「私だけが覗いている」ときと、「私と私の友人が覗いている」ときの、
私の悪さ、入浴している人の悲しさに差があるのか、というと、
どっちにしろ私は悪いし、入浴してる人は悲しい。



私だけが覗いていることがばれなければ、それは悪い事にならないの?
という疑問への答えはどうだね。悪いに決まってるよね。

でもそれは私へは誰が悪いって言うわけ?
覗かれてる事を知らされなければ、覗かれてる人は嫌な思いをせず、
私も悪人にならないのかい?双方が幸せなのかい?

そんなはずはない。それは覗いている人の主張だろう。
そう思ってて、何かの拍子にバレた時に、

「覗いてたけど、言ったら傷つくと思って黙ってた。
 君のためを思ってやったことだから許してくれ」

そんな主張が通るか?バレなければその議論は発生しない?
心の中で覗きを正当化するのに使ってるのではないの?


だから、「自分で覗いてるのはともかく、人に教えるのはどうよ」と言われたら、
「いや、そもそも覗いてるのが悪いだろ。」というのが私の答え。

というわけでここまでで言える事。

覗いてるのが悪いなら、それを勧められた人は、
方法はどうあれ私が覗いてる状況を阻止すべきだろう。

私にやめるように言って聞かないならば、
覗かれてる人に言って注意すべきなんじゃないのか。
早く言わないと、相手は怒らないかもしれないが、
「黙ってた期間この人も覗いてたんじゃないの」
と疑われると思うんだけど。

私の悪さは変わらないが、覗かれてた人の悲しみは
覗きを悪いと思わなかった人が増えるほど増えると思うんだがね。




中途半端だけど、今日は寝るです。