久々に今日の会話のコーナーです。

Dialog


外出前、骨はメガネを換えるためにメガネケースを開ける。

骨「…母さん、勝手にメガネかけたでしょ」

母「えっ!?確かにかけたけど…なんで分かったの?」

骨「メガネの向きが上下逆なんだ。僕はいつも同じ方向にしまってるから」

骨「…八神月か俺は…リアルデスノート(笑)」

母「そういうのが多いほど嫌われるのよ。お嫁さんに刺されても知らないわよ」

骨「(またそれかアンタは…)」




なんだこのかつてない疲労感…。
ふらふらする。あーあー。


今日は違うけれども、「一日を日記を書いて過ごす」という
よく分からない日が多かったです。この夏休み。

まあ、普段からこういうしゃべりたい事って溜まってて、
なかなかめんどくさくて吐き出せない分を結構消化できたかなという
肯定的な見方もできるわけですが。

…吐き出すんだか消化するんだかよく分からないな…。


そろそろ、新たな体験が欲しくなってきた頃に新学期と言う事で。
いいんじゃないですかね(笑)?

でも夏休みを有効に使ったとは言い難いなあ。
こんな文章書いて自分の役に立つのかね。

でも感覚的に頭で分かってる事を文章にしてみるっていうのは、
なかなか楽しい作業ですね。どこが抜けてるとか分かる事もあるし。



なんだか、勢いでまくし立てて納得してもらえてみたいだけど、
正直自分の説明にかなり反証の余地があるような気がするんだけどなあ…。
うーん…。

例えば…。

情報の流出は一度行われると戻れない、という事実がありますよね。

だとしたら、喜ばれるか分からないものは、
可能な限り確認を取ったほうがいいのではないの?
という話はそこそこ真っ当ではないですかねえ。

まあ「潜在的に誰でも見られるから関係ない」というのが私の理屈ですけど…。
「どれが喜ばれるかは結局聞かないと分からない」のもあるし…。


それなりに網羅できてるかなあ?
まあ真面目に読むには辛い文量だったかもね…。


あんまり自分の思い通りになっても、
「気を使わせちゃったのかなあ」とか、
「正しくない事言ってるのに納得されちゃったりしてないかなあ」
とか考えて安堵が訪れないんだけど(笑)。なんだこの性格(笑)。



「たとえ」を使った説明とか、普段しゃべってる時私使いますか?
なんか文章では多いような気がするけど、しゃべる時は使わない気が…。

とっさに話を組むだけの実力は無いってことなのかなあ。

そもそも私は全部頭で考えてからなんて全然書けないですからね。
皆どんな風に文章書いてるんだろう。気になるな。



昔、小学校とかでは私は作文って苦手でした。
いっつも、書き始めるのが誰より遅いんですよね。

難しく考えちゃうっていうか、高望みしちゃうっていうか…。

読書感想文でシナリオ説明を書いてる事が自分で分かっちゃったら、
自分で自分を止めますよね?私はそれはできたわけですけど、
じゃあちゃんとしたのが書けるかと言われると書けないんですよね。

そんで時間制限に追われて、間違っていると分かっているんだけど、
原稿用紙が何も埋まらないのでシナリオ説明書いてみたり(笑)。

あー、子供になんか戻りたくない(笑)。
最近はこれぐらい書くようになったからねえ。



最近はどういう風に書いてるかというと、
とりあえず正しそうなフレーズを思いつく限り列挙してみて、
その間が繋がるように、って感じですかねえ。
これはやっぱり前から文章を書いていくのではできなくて、
ワープロさまさまの方法ですね。並び替えも多いし。

これなら全体の整合性を考える前から手を動かせるからね。
無理にパーツを全部使わないのが最後にまとめるコツかな(笑)?



学校で習ったように、メモを取って書くようになったってことのような気もする。
最近、実は学校って結構いろいろためになることを
教わってたんじゃないかなあって思うんだよね(笑)。

教科書とか、高尚過ぎるんじゃん(笑)?禁欲的というか。
もっと「こういう風に役立つんだよ!」って書いてもいいんじゃないのかな。

後になってから「あの時言ってたのはそういうことだったのか」
って思うことが多いんだよなあ。
自分で導き出したことをよく覚えているだけなのかな。