昨日は12時に起きたので、ナチュラルに2食しか食べませんでした。

それなのに4時ぐらいまで卒業文集に悩んでたのでお腹空きました。
母親が3時ぐらいに現れて、「代わりに書こうか?」と言った時に、
思わず「いや、そういうのいいから」と言いそうになりましたが、
ぐっとこらえて「ハァ?」ぐらいになりました。



今日も12時に起きました。今日は3食食べようと思います。




だー、結局今文集終了。



さて、途中まで書いたピアノ暦せっかくだから載せるか。


-------------------------

情報学類4年 岡田龍太郎

Q.どうしてピアノ愛好会に入ろうと思ったのですか?
A.レアな楽譜が手に入るかなと思ったから

僕は4才のころ、姉がピアノを習っているのを見て、「自分もやりたい」と母親に言ったことで、ピアノを習い始めることになったそうです。記憶が正しければ最初はヤマハで大人数で一緒に練習していて、小学生になるぐらいに姉と一緒に個人の先生についたんだったと思います。その頃は練習もほとんどせず先生のところに行くような一般ピアノ学習生だったので、ピアノは当然あまり上達していませんでした。ただ、ゲームで流れてくる曲が、旋律ぐらいは自分で再現できたり、あとは友人と、教室に置いてある電子オルガンで猫踏んじゃったをどれだけ速く弾けるか、あるいは連弾用のバリエーションを考えたりといった遊びができることで、多少はピアノが弾けるつもりではいました。しかし練習は楽しくなく、小学6年の時に習うのをやめてしまいました。最後に弾いた曲は、湯山昭作曲「お菓子の世界」という曲集の中の、「チョコ・バー」だったように思います。

再びピアノに触れるきっかけになったのは、中学で毎年開催される合唱祭の伴奏をしている人を見て、でした。その頃は、そこまでちゃんと習ってきた人に比べてもピアノは弾けなかったので、自分が合唱の伴奏することはありませんでした。でも、そこで一人、今までまったくピアノを習ったことのない人が伴奏に立候補して、なんとそれをやりとげたのです。もちろん比較的簡単な曲だったとは思いますが、その時は「ピアノって後からはじめてもこんなに弾けるものなのか」と驚きました。そして、自分はピアノを習っていたのだから、もっと弾けるはずだと思い、また、せっかくだから何かのときに披露できるような、「ちょっとやった人では弾けないだろう」という水準の曲を完成させてやる、という野望を持ちました。 そんな折に、似たような境遇の友人がディズニー映画「アラジン」の中の「A Whole New World」の楽譜を貸してくれたので、それを弾くことに決めました。余談ですが、アラジンはビデオを借りてみましたが、劇中の日本語で歌われるのはしょぼいのですが、エンディング後に収録されていた歌手による同曲は本当に素晴らしく、当時は歌詞まで覚えていたと思います。ピアノの練習は本当に毎日少しずつでしたが、結局一年ぐらいかけてほぼ弾けるようになりました。その時ちょうど母親経由で、習っていた先生に私がピアノを弾いていることが伝わり、次の発表会にゲストとして出てくれないかと言われました。そこから久々に先生に指導を受けて、発表会では、産まれてはじめて「間違えずに弾ききる」ではなく「演奏」をすることができた、と実感することができました。

その後は、親に「そんなにピアノ弾くんだったら少しは録音持ってるけど」ということで、いくつかクラシック曲のテープを貸してもらいました。そしてその中では一番かっこいいと思った、ショパンの「幻想即興曲」を弾いてみよう、楽譜も家にあるし、ということになりました。もちろん無謀なのは分かっていましたが、前弾いた曲もすでに一年かかっているので、「まあいつかは弾けるだろう」と楽観的に練習を始めました。そして、あの速い動きは無理なんじゃないかと思っていたのですが、最初の部分だけ練習していればそれなりに動くようになり、「おお、いけそうだ」と思っていました。しかし、なぜだか弾いているうちにあまりこの曲は好きじゃないな、と思うようになり、譜読みすら終わらないままやめてしまいました。

転機が訪れたのは高校2年の時でした。友人が遠足のバスの中で聴かせてくれた、ホロヴィッツの弾くショパンの「黒鍵のエチュード」に、脳細胞が破壊されるような衝撃を受けたことを覚えています。そのバスの中で、我を忘れて何度も何度も繰り返し聴きました。この旋律性の無い右手はどういう頭をしていたら思いつくんだろうとか、その動きの中に旋律を見つける喜び、真ん中の何やってるんだかさっぱりわからない部分、そして、聴き終えた後の心の底からの爽快感と、そしてこの曲が黒鍵だけで構成されているということに、今まで聴いてきた曲とは別次元に、ピアノと人間の能力の可能性を感じ、打ちのめされる思いでした。そしてそれからショパンエチュードをWeb上のMIDIファイルで見つけ、それが曲集という形であったおかげで、同水準の作品にたくさん触れることができました。

こうして私はクラシック音楽に目覚めたわけですが、黒鍵のエチュードを本気で弾きたいとはあまり思っていませんでした。友人が楽譜を見せてくれたのですが、その手の動きは想像するだけでも、当時は冗談としか思えませんでした。しかし急ぐ理由も無かったので、自分でこれは冗談だと笑いながら、少しずつ練習していました。

また、ピアノのことについてWeb上で調べているうちに、「超絶技巧的ピアノ編曲の世界」というサイトにたどり着きました。このサイトでは、ホロヴィッツが神のごとく扱われており、その編曲作品の解説を読んで、日々夢を膨らませていました。それがついに抑えきれなくなり、その編曲作品の入ったCDを買おうという事になり、産まれて初めてCDを買う決心をしたのですが、お目当てのCDは10年も前のものだったので、産まれてはじめてのCDを店で注文して買うということになりました。「ホロヴィッツアンコール」というCDで、その内容はというと、もう人生が変わるぐらいの衝撃でした。解説してたらきりが無いのでやめますが、今でも所持CDの中で、最高の位置づけの3枚の中の一つです。また、ホロヴィッツの編曲作品の楽譜が大学のサークル等で出回っていると言う話をWeb上でよく聞いていたので、このころから「大学に入ったらピアノサークルに入ろう」と思うようになっていました。

そんなこんなで、受験からの逃げの意識もあり、なんだかんだいって、高校卒業前には、なんとなく黒鍵のエチュードが弾けるようになっていました。正確に言えば、「弾けるつもりになっていた」が正しいのですが。受験のときの曲として思い出深いのはショパンスケルツォ2番です。ホロヴィッツを気に入ったので次はそのショパンアルバムを買ったのでした。当時、もう授業がなくなる頃に、教室に一台ずつパソコンが導入されたので、勉強しに学校に来て、ピアノのことを話す友人のいるクラスでCDを流して聴いていました。あれ以来あの曲は冬が来るたび思い出す曲になってしまいました。まあ、今ではそんな曲いくらでもありますが。

また、そんな時期に「超絶技巧的ピアノ編曲の世界」のリンクから、「楽譜の風景」というサイトにたどり着いた私は、たまたま聴いたMIDIで自分のピアノ感を一から覆されたのでした。それはカプースチンという名前のロシアの作曲家の曲でした。当初は「カプスーチン」だと思っていました。その一聴して分かる馴染みやすさ、激しさ、かっこよさ、オシャレさに、完全に虜になってしまいました。このCDと楽譜が欲しかったのですが、当時は受験の真っ只中(とか)で、かつ通販でしか買えなかったので、躊躇しているまま受験が先に終わることになりました。そこで、大学でピアノサークルに入ったら、持ってる人がいないか聞いてみよう!と思っていました。



-------------------------


ほら、まだ入学してない(笑)。


研究室に北斗の拳が届いている.この時期に(笑).


たまにテレビ見て,思いついたこと書きなぐってるだけなので,
「女性が機械」発言なんて書いた次の日にはどうでもいいことになってたんだが,

菅直人「広辞苑によると「生産」には「出産」の意味もある」


…まだやってたの?
そもそも前後読むと女性は機械という発言ではない,という話なのかなーと思ってたんだけど.
フォローどころか追い討ちじゃーん.


北斗の拳ちょっと11冊ぐらい読んだ。
ハート様が見られて大満足。

にしても、ケンシロウ最初から強すぎっしょ。



前回の発表練習がうまくいったので、激しくやる気がしない。




God knowsの完全版


やべえ、久々にゾクゾクした(笑)。