テレビ

やっぱワイドじゃなかった.うん.でも25インチです. テレビ台が無いと苦しいなー.拾えるかなあ.

バテンカイトス

よく考えたらバテンカイトスはいろいろ酷かったなあ. 特に演出の矛盾とかその辺が.ジブリみたいな(笑). 前に自分が書いたのを読み返してみたら詳しく書いてあった. しかし,それにしても好きなんだよなあ. 単に音楽をいつも聴いてるからか.

他にやったRPGを挙げておくと…(待って). やっぱめんどい.

子供との接し方

姉が小学校教員になるみたいです. 図書館で「子供の叱り方」とか「褒め方」とかいろいろ借りてきてたので ちょっと見てみたんですが,なんというか子供を馬鹿にしていますよね. 「こうすれば操れる」みたいな印象を受けて気持ち悪いです.

個人的には「子供を子供扱いするのがそもそも問題の元」だと思うのですが, しかし子供はまだ自我も無いわけで,ある意味対等な関係を 要求するのは子供に負担が大きすぎるのかなあ?とかも思ったりします.

しかし,小学校教諭と小学生ならまだ分かるけど, 二十歳越えたような人間を操れると思ってる奴はホント死ねばいいと思う.

論文

共著で今日まで手伝っておりました.これで当分予定はありません.

仕事はいくらでもありますが….

悪意

きちんと話を聞いてみると悪意は無かった,というケースは多いと思います. 頭が悪いだけのことが多いのです.それは責めるべきではありません.

しかし頭の悪さを指摘すると,そこで初めて嘘をつく人はたくさんいます. それは悪意です.責められるべきところです.

自分の頭の悪さを素直に認めれば嘘をつかないで済みます. 納得できない事はもちろん確認します. 自分で納得しているのに認めようとしない.それが嘘であり悪意です.

自分の頭の悪さに気付く事が自分が賢くなるということだとすれば, 頭が悪かった事を認めることは恥ずかしいどころか誇らしいことです. しかし頭の悪かった過去の分はやはり恥ずかしいものです. ですから,頭が悪かったことを認めた時点で, 過去の頭の悪かった分を許す,という約束事にしておかないと, 皆が安心して自分の頭の悪さを認めることができません.

実際は確認もせずに悪意だと決め付けたり, 済んだ話をいつまでもネチネチ言い続けるような人がたくさんいます. そういう人は体感的にも,実際にも, 「自分の周りには悪意のある奴が多い」と思う羽目になります.

しかしこれは「人は賢くなりたいと思っている」という仮定の中でしか 成り立たない話です. 私が分からないのは,賢くなろうとしない人を責めてよいかということです.