ヨッシー「やりがいのある役だと思ってます」

これは秀逸.マリオの世界への深い理解がなければできない.

コミュニケーション力とリア充

今の私はどう考えてもコミュニケーション弱者ではないのだが, 高校時代は周りとうまくやれてない人だったと思う. リア充の人達へとても強い偏見があった. 「どうしてあんなデタラメな人間が人気なのか」と思ったこともあった. コミュニケーションが知的レベルの低い話をすることならば, そんなものはしたくない,とも思っていた.

最近,他人のコミュニケーション能力の低さにイライラすることが多くなった. 嫌悪感さえ抱く事がある.これではまるで, 自分が嫌っていたリア充みたいじゃないか,と不安になった (自分が嫌悪感を示されているという自覚があった).

私は歳をとってから変化したのだから,かなり意識的な行動を含んでいたはずで, それならば,知識として提供できるはずなのだから, 誰も教えてくれなかったことを,何が問題だったのかということを, 教えてあげられるのかもしれない. 自分が強い立場になったから,気に食わない奴を排除しようなんて まるでリア充じゃないか.

私のケースが普遍的なものかどうかは分からない. 私のように,「自分に話しかけられるということが迷惑だろう」と 思っているようなタイプの人には,アドバイスもできるかもしれない. そういう人は,ピアノ愛好会には多い. そして実際そういうこともたくさん言ってきたと思う.

最近私が気になるのはむしろ逆で,馴れ馴れしすぎる方なのだけど. それに関しては私は自分で乗り越えたわけではないので アドバイスしにくいなあと思っている.

ここまで書いて思ったのだが, 引っ込み思案なのと,馴れ馴れしいのとでは,アドバイスの質がかなり違う. 引っ込み思案な人へのアドバイスは「実は嫌われてなんかいないよ」でいいのだが, 馴れ馴れしい人へのアドバイスは「実は嫌われてるよ」ということを 告げなければならないという意味で,言う方の労力や, 受け入れる側の労力が段違いだ.

そうか,だから馴れ馴れしい人がそのまま生きて来れちゃうのか.

タイトルと話がずれた. 傍から見てどうかはしらないが,私は会話の知的レベルを下げた覚えも無いし, 人を馬鹿にしたようなエセ心理学を当てにしたわけでもなく, ただ人として恥ずかしく無いように,と思って生きてきただけで, それで十分人と話ができるようになったと思うのだが, 「だったらもう何も迷う事無いじゃん!何のデメリットも無いよ! みんなそうして生きたらいいんじゃないの?」と思うのだが.

ま,能書きはさておき,馴れ馴れしい人に対しては, 心の底から嫌いになる前に一つ一つ小さな不満を ちゃんとぶつけるようにしたいと思う.

身だしなみ

ちくわさんが言ってた「おしゃれ以前に身だしなみのレベルでまずい」 という話が好きで.最近少し意識するようになりました. …聞いたのは2年以上前の話なので,実際は今まで放置してたわけだけど(笑). (これ以上どう人格を向上させていいか分からなくなったというのもある)

いやね,別にモテなくてもいいんですけど, 立場上人に教えたりする機会も多いわけで, 教えられる側が不快感を感じてるようじゃよくないかと思って. それが身だしなみの意味ね.

接客業やるならヒゲ剃るみたいな話で. 例えばTAやるなら,不潔感ありまくりでも,逆にビシッと決めすぎでも, 話しかけにくかったら良くないでしょうと,まあそんな感じ.

私は社会に出ないんだから,社会人としての考えが できないままにならないようにしないといけない,とも.

二度寝を簡単に克服する方法

わらた.いい流れ.

規範

なんというか,私の感覚では,人としてまっとうな, というのがどういうことかというのは,みんな頭では分かっているけど, 多くの誘惑とか自分の幼稚さに負けて実践できていない,のだと思っていたのだが, そもそも個人個人の考える規範の姿が随分違うのだろうか?

自分が昔からあまり変わっていない,と思うのは, その規範の姿が変わっていないということなのかもしれない.