ミニゲームのあり方について
ゼルダの伝説風のタクトの時,いわゆる「海戦ゲーム」がミニゲームとして搭載されていたのですが,あれを見た瞬間に私は「任天堂どうしちゃったの?」と口にした覚えがあります.
参考までに,海戦ゲーム - Wikipedia.私はネイビーブルーというファミコンソフトで長らく遊んでいました.
さて,私が何に失望したかと言うと,このゲームは本筋のゲームと全く何の関係も無いという事です.いや,海を舞台にしているので世界観的には関係があるのですが,そういう問題ではないのです.
ゼルダのミニゲームは例えば射的など,ゲーム内と変わらぬ動作を求められる事が多かったのです.言うなれば特殊動作に慣れるための訓練として機能していたのです.ゲームは虚構ですが,ゲーム中の登場人物から見ればゲームそのものは現実であり,さらにミニゲームも現実であったのです.ところが風のタクトでは,ゲーム内の人物にとっても虚構であるゲームがミニゲームとして用意されていた,このことに私は悪い意味で驚いたのです.ゼルダのスタッフと言うのは,そういうことをどこよりも大事にしていると感じていたので.
虚構内虚構の問題は,それがそのゲームである必然性が全く感じられないところにあるように思います.そういうミニゲームが面白かったというのは,作品の価値を高めることに繋がらず,評価を分離せざるを得ないのです.ましてや,海戦ゲームは割とメジャーなゲームであり,メインのゲームのために考えられたという要素が無いのも問題です.
ですが,夢幻の砂時計のミニゲームはどれもそういう部分に関しては明確な思想が感じられ,当時の迷走から抜け出して,いい方向に向かいつつあるという印象を受けました.
- 射的
- 船大砲
- 剣の稽古
- ゴロンレース
- 穴掘り
全部実際に出てくる動作を使ったものでした.これらは,「ミニゲームが面白かった」という印象を「夢幻の砂時計というゲームが面白かった」という評価に繋げるものとして,ちゃんと機能していたと思います.
しかし剣の稽古はもっと面白く出来たと思うし,穴掘りはゲームじゃなかったような気がします.またゴロンレースはそこで鍛えた力をゲーム中で使う場面は無かった点で少しマイナスですかね.2週目やれば使えるんですが(笑).
剣の動作は多彩なものの,それを使い分ける戦術性がゲーム中にあまり無いのですよね.例えば剣が左右どちらからでも振れるなら,片側だけに盾を持つ敵とか,防御する側を変化させる敵とかがいないと.ディスクシステムのリンクの冒険では,上段攻撃と下段攻撃ができて,盾を上下させる敵がいたわけですし.