一途な人より気の多い人に好かれたい

明日から三学期が始まります.そろそろ研究室紹介の季節です.今日,3年生を対象にした研究室紹介の日程というか時間を決めたのですけど.その時の話.


ウチの隣の研究室が,専攻で一番人の多い研究室なのですが,毎年その研究室と研究室紹介をする時間がかぶってしまうので,時間をずらそうというような事を提案しました.隣の研究室に時間を聞きに行って,17時からだというので,じゃあ18時からにしようか,というようなことを話しました.


そこで,今年研究室紹介を担当してるM1の後輩から,「となりの研究室と時間を同じにした方が,ウチの研究室を特に希望する人が来てくれるんじゃないですか」というような提案がありました.確かにそうだと思います.「早くから来て希望を出してくれた人を優先的に取りたい」とも言っていました.


18時からにした場合,隣の研究室の発表を完全に聞き終えてから来るというよりは,適当なタイミングで切り上げてくるような感じになりますが,私は「18時からの方が人は来ると思うけど」というような話をしました.でも,後輩の言い分も分からないではないので迷います.私はかなり研究室の事を任されている立場ですから私の一存でも良いとは思うのですが,今年の担当の人の顔を立てた方が良いかなと思ったりもして.

「隣の研究室のすぐ後にしたら,多くの人が複数の研究室を見ることができるので,その方が見る人にとって親切でしょう」というような話をして結局私の案をのませる形になりました.


うちの研究室は,毎年定員一杯に人が入ってくる,人気の研究室です.といっても,競争率が高いという程でもなく,ちょうど定員というぐらいですけど,3年続けて空きが出ないだけでも人気と言っていいと思います.人気の研究室なので,「学類生をだましてでも入れたい」という気持ちはありません.研究紹介でも,聞こえの良いことばかり言わないようにと配慮しているぐらいです.ですから,研究室にとっても,入った学生にとっても良い選択であってほしいと思っています.


この話は,一概にどっちが良い悪いと言えないと思いますが,結局私の好みを反映させた事になります.私の好みというのが,タイトルの「一途な人より気の多い人に好かれたい」というわけです.


私が思ったのは,一途に「この研究室に入るんだ!」って最初から決めるより,いろんな研究室を見てから「やっぱりここが良い」と思ってくれる方が,好かれるという事に納得できるということです.「僕はここしかないと思って来た」と言われるより,「どこ行っても良いと思ったけど,ここが一番よさそうだと思ったから来た」と言われる方が嬉しいと思うのです.


人によっては「相手が自分の事しか見えていない」ことを,嬉しく思う場合もあると思います.でもそれって,逆に安心できないと思いませんか?例えば大学に入学したての女の子を先輩が「先輩パワー(入学したての人にとって先輩が凄く大人に見える事)」によって彼女にしたりするときには,「新入生の視野の狭さ」を利用していると思うのです.ちゃんと見渡せば色々選択肢があるはずなのに,「とりあえず目に付いた今までの生活より魅力的なもの」を選んでしまっているわけです.いや,そうとばかりは限らないのですが,少なくとも先輩側にとっては,「先輩だから凄く見えただけじゃないか」という不安が付きまとうと思うのです.


ですから「脇目もふらず真っ先にうちの研究室が好きと表明してきた」ということを推奨する気にもなれません.そもそも研究室紹介期間の後に選択期間がちゃんとあるのですから,その段階までに早い者勝ちというルールを決めるのも趣旨に反するような気がします.


というか,「ここしかないと思ってました」と言う人には,指導者の立場としては,「決めつけずに,色々見て回って良く考えなさい」と言うべきです.多くの人は「好意の返報性」という基準だけで動き過ぎです.「自分を好きだと言ってくれる人が好き」というのは,時に非常に幼稚な考えになってしまいます.信頼がさらに信頼として返ってくるという形で使われればいいのですが,同じ行為でも相手によって評価を変えるような,不公平な考えに繋がりかねません.自分が馬鹿であれば,自分にとって本当に重要な忠告をくれるのは自分にとって嫌いな人である可能性が高いのですから.


付き合ってるのに「お前が好きって言ったから付き合ってるんだから,言う事聞けよ」とか言われたら納得できないでしょ?契約を対等な立場で結びたいのだから,お互い「別にどこでもよい」「別に誰でもよい」と思った状態で,自由に選んだ結果として選ばれたいということです.