統治のあり方

北斗の拳で、ラオウが倒された時にユリアはこんな事を言うのです。


「この暴力の世の中は恐怖によってしか統治できなかった。そしてラオウは愛を持って統治するものにとってかわられる事を望んでいたのかもしれない」


これは私が北斗の拳の中で一番いいなと思ったところです。いや結構ありふれたモチーフだとは思うんですけど、忘れがちな事だと思うんですよ。


統治すべき民衆に合わせた統治方法ってのがあるのですよ。人間と魔族がいる世界であれば、人間の王は(多分)話し合いが最も上手い人であるべきだし、魔族の王すなわち魔王は、一番強い力を持つものでないといけない。民度の著しく低い魔族は、放っておけば略奪など平気で行いますし、仲間である部下をつい怪力でぶちのめしたりしかねない。つかまっても警察役を蹴散らしかねない。そういう場合では統治する側に暴力的な要素が求められるわけです。


もうちょっと身近な話にすると、ヤンキーどもをヤンキー先生がまとめるのはもっともだけど、ヤンキー先生進学校に来てもみんなしらけるだろう、とかそういうことです。


中国からgoogleが撤退して、「中国はいまだに国家の検閲の酷い遅れた国だ」という気持ちも分かるのですけど、「あれだけ広い国土であれだけ多様な民族を抱えてよくやれてるな」という気持ちも分かるのです。


途中までしか読んでいませんが、三国志曹操を主人公にして描いた漫画「蒼天航路」を読んでもそんな事が書いてありました。政治について語る人達に向かって、曹操は「理想を言うのは結構だが、お前らは中国の億の民を喰わせる気概が足らん」と。


他にも、「体罰は可か不可か」みたいな話にも関係あると思うのです。体罰というのは直接的な恐怖です。脳の低レベルな場所で感じられる感覚です。それに比べて、話し合いで納得する事は、言葉の理解もありますが、その他にも、『それを続けたらどうなるか』といった、経験や未来の予測と言った、かなり高次な感覚です。ですから、「言葉で言っても分からない」ということは、往々にして発生する普通の事なのです。


ただし、痛い思いをしたくないのは皆そうですから、その方がいいというわけではありません。「体罰の方が話し合いで解決するより良い」訳が無いのです。でも例えば赤ん坊は言語を理解できないわけですから、言葉で説明しても無意味です。で、少しずつ我々人間は成長して、言葉で聴いて理解する能力を見に付けていくのです。その場合でも語気で伝わったりすることはあるでしょうが。


ですから、ある時点まで人間は「言葉での納得を望めない」状態にあるのです。ならばそれ以外の方法を取るということはあり得ると思うのです。で、その他の方法の選択肢として、体罰もあり得るかな、と思うのです。それが何歳ぐらいか、というのは個人差もあって難しいかなと思います。難しいと思いますが、体感では中学生までとかだったらいいのかな、とか思います。


ポイントは、体罰の肯定派はみんな体罰がしたいから肯定しているんじゃないということです。言葉で言っても聞かないならどうしたらいいかということで、体罰を使う事を許可せよと言っているのです。ですから体罰反対派の人は、ただ体罰反対と言うのではなく、体罰に代わる「言葉での納得を望めない人」に伝える方法を考えるとよいでしょう。「言葉自体の質を上げろ」でもまあ良いですけど、そんなこと言われても出来ないから議論になってるんだと思います。


えーと、話戻しますと、どんな時でも、本当は話し合いで解決できればいいんですけど、それが出来る状態ってのは高い民度が保障されている場合に限られるし、出来る出来ないで言うと出来るけど時間がかかり過ぎて現実的じゃないってことがあるのです。だからその状態を見ずに「話し合いで解決すべきだ」とか「上の言う人に従っておけばいいんだ」と、自分の文化圏での成功例を語っても意味無いわけです。


我々に馴染みのある話で言うと、文科系サークルと体育系サークルで求めらる統治のあり方は違うわけです。文科系サークルで体育系の厳しさで後輩に接したら「こんなとこ居られるか」と言って出て行ってしまいますし、体育系サークルで全部ちゃんとみんなの要望を聞いて話し合いで解決しようとしたら、言いたい事言った後輩が後で先輩にボコられるとか(いや、これは例えですよw)、そもそも話し合いをまとめることができない(人数が多くて誰かは我慢しないとどうにもならないとか)事があるって納得できる話だと思うわけです。もちろん文科系体育系それぞれの中でも色々違いもあるでしょう。だからそのサークルの風土にあった統治…統治と言うか、話の進め方ですかね、を見極めることが重要なわけですね。


もちろん、恐怖による統治をしたのであっても、それは必要悪であって、できればその後は封建主義的な要素を排除して、話し合いで解決していくように変化させていけると良いのですが、サークルというのは人がすぐ入れ替わりますから、なかなか入ってくる人の資質に依存するので、継続するのは難しいと思います。


でも、我々人類が果てしない年月をかけて、法というものを少しずつ整備して、呪(まじな)いによる政治や、生贄、差別などを排除してきたというのは、実は感動的な事ではないでしょうか。異星人と遭遇した時、もしかしたら地球の文明の中で一番ありがたがられるような成果物なのかもしれない。もちろん、その逆もあり得ますけどね。