レッテルと個性

例えば「情報系男子はキモイ」という意見が多かったとして、それで自分が困るとは思えない。「この人は情報系だけどまともなんだな」と思ってもらえば良いし、「まともに見えるけど情報系だからダメ」とか言う人とはそもそも仲良くなる必要が無い。ほんとにキモイならキモイって言われるのはしょうがないし。


そういう意味でレッテルを貼る行為、例えば「処女じゃなきゃ認めない」とか言うことは、言った本人が恥かくだけであって、言われた方が傷つくというのは馬鹿げている。馬鹿げているのだが、そういう(傷つく)人がたくさん居るのが現状なんだけどそれは傷つく方が未熟なだけ。言う方も未熟だけど、両者は利害関係に無い。


みんな「個性を尊重しろ」と言われるともう笑っちゃって真面目に聞く気になれないのかもしれないが、普通に大事なことだからちゃんと分かった上で笑って欲しい。すなわち、「その人の所属や所持している属性(のみ)に惑わされず、その人自身を評価すること」だ。それをまず自分が出来ないし、他の人が出来ないと思ってるからレッテルにおびえる事になる。


平野綾の恋愛してます的な暴露話は全然難しい話じゃなくて、「処女じゃなきゃ認めない」とかいう馬鹿な奴らに「もうファンやめてくださって結構です。まともなファンもたくさんいるからあんたらなんかと関わる必要ないんで」という宣言。それで平野綾的には問題ないと思うから言うんだろ。ただし普通はそれは事務所の判断で却下される。お金落としてくれる人が減るから。でもそれも含めて総合的なイメージ戦略みたいなので事務所がゴーサイン出したからこういう展開になったんだろうとは思う。


自分の嫌いな人には、嫌われていたいと思うのが自然。嫌いな人にも好かれようとしていると、本当に好きな人をないがしろにすることになる。嫌いなまま相手に好きになってもらおうと考えるのがまずいということで、自分から好きになる(なろうとする)のはいいと思う。