敗者としての人工知能

人工知能についてのぼやき(ツイートの転載)。


人工知能が人間を追い越すか?みたいな話が盛り上がってるけど、少し関係するような気がする話として、ビデオゲームのAIって、「人間の代わりに相手してくれるもの」なんだけど、それって実質的に「人間の代わりに人間に負けてくれるもの」なんだと思う。


人間同士が戦うと、どうしても勝者と敗者が生まれる。もちろん戦った事自体が楽しければいいのだけど、やはり現実としては勝った方が楽しい。そこに、負けても悲しまない存在としてのAIが居ることで、人間全員が勝つことが許される。そういう、負けるための存在としてのAIの存在を感じる。


勝手な想像だけど、昔のゲームは今より、賢く強いAIを目指していた。でも、AIが賢くなると、打ちのめされてしまう人間が出てくる。そういうゲームの方が良いゲームの様な気がするけど、実際それは「人を選ぶゲーム」になってしまって、「みんなが勝てるゲーム」の方が売れて主流になる。


無能なロボットを会社に配属してみんながロボットよりはマシみたいに思えるという活用法がある??(ロクな結論に辿りつかなかった)