時間がリソースである事について

時間というものは、締め切りに追われたりしている時は足らないものであるが、電車の中などでは「余って困る」ものである。これを、時間はリソースである時と、潰さなきゃいけないものである時があって、二つの顔を見せるのが不思議だな?と思っていたのだが、その疑問を解決できたかもしれない。


その答えは「時間はいつでもリソースである」というもの。では時間が余って困るというのは何なのか?というと、時間に何かを組み合わせることで、なんらかの利益を得るということが目的であって、時間があるのだから利益を得る可能性があるのに、手段が思いつかない、あるいは思いついたものが使えないということによって、損をしたように感じる、というもの。


こう考えると、ソシャゲの課金も、楽しみを最大化するのに時間とお金をどういうバランスで投入するか、ということだと言えそうだ。製作者からすると、それでお金を投入するのが合理的にするのがゲームデザインだということになってしまうだろうが。


要するに、お金も時間も手段であるという面においては等しく、目的は楽しみを得る事なんだ。