人には向き不向きがあってそれぞれ力の出せる方法は違うのではないかということ

最近、人はそれぞれ結構違うんじゃないかなあと感じるようになりました。当たり前と言えば当たり前なんですが。でも当たり前なことこそ重要だと思っているので、確認の意味も含めてまとめてみます。


仮に「天才」な人が居たとして、その人がバリバリ成功していて、その人の習慣を公開したとします。SNSでも良くあることですね。それを見た「凡人」が、天才に近づきたくてその習慣を真似すると、多分上手くいかないでしょう。なぜなら大抵それは天才向けに効率良くチューニングされた方法だから。


まあそもそも「天才」ってのは人とは違って優れた才能を持っているということなのだから、定義上みんなはその人の様にはやれないというのは当たり前なんですけど。でも天才かどうかはともかく、人には能力差ってありますよね。(なんか例を思いついたら入れる)


そういうことは昔から考えていたんですが、「能力の優劣に応じて最適解が変わる」というだけでなくて、もうちょっと一般化して考えてみると、単純に優劣が付けられないような部分、単純に向き不向きみたいな面での差というのも随所にあると思うようになってきました。


大抵の「大人」というのは、自分の成功体験に基づいて、「こうやった方が良いよ」と後進にアドバイスするわけです。もちろんそれはほぼ善意なんですけど、むしろそれゆえに盲目になって、自分のその体験に一般性があるのかということを考察できないものなんだと思います。


じゃあどうしたらいいんだってなるわけですが、それは簡単で、あくまで基本は、自分が成果を出せた時はどういうやり方をしていたのか、という経験に基づいてやり方を選ぶべきなんだと思います。だから「自分はどういう時に力が出るのか?」ということにもっと関心を持つべきなんだと思います。



よく「成功している人のnつの習慣」みたいな(チャラい)ブログ記事がありますが、そういうのが自分に合っているかどうかは分からないわけです。しかし、試してみる価値はあるかもしれません。今自分が成果を出せるやり方だと分かっているやり方が最善とは限らなくて、もっといい方法があるかもしれないですからね。


そして、人をマネジメントする人は「自分が成果を出せたやり方」をやらせるだけではなくて、その人をよく観察して「その人が成果を出せたやり方」を本人以上に把握して教えてあげるべきなんだと思います。




余談1。


ある人が有能か無能かっていうのも、評価システムに左右されますよね。女性が会社で無能扱いされる(そういう傾向があるとすれば)のも、会社の評価システム自体が男性向けになっているから、という面がある程度あるのではないかと思うようになりました。もちろん、その他の組織でも同じですね。


それと、最近はなんでもスピードを求められる社会になっていると感じていて、それはまあしょうがない面もあるとは思うんですけど、どこかで誰かは「じっくり考えるのも大事だよ」っていう旗を振っている必要があるんじゃないかなって気がしています。言い方を変えると、現状すぐ役立つ人ばかりだと将来的にジリ貧になるんじゃないのかなっていう危惧を持った方が良いかもねという。で、それってまず第一に大学の役割なんだと思うんですよね。だから、大学の先生をしている時ぐらいは、そういう面を忘れないようにしたいなあと思ったりします。



余談2。


ちなみに私は、非常勤の授業を初めてやる時に(27歳かな)取った方法が、今までに自分が出した事が無い力を出せたので、そうした自分の得意なやり方が分かったことがその後の財産になった面があります。金曜に授業をして、土日に関連がありそうな本を適当に読んでおいて、月から水までは普通に普段の研究をしていて、木曜日に「さあ降りてこい」と思いながらペンを持って紙に向かう、という方法です。何も出てこなかったらどうしようと思うとメチャクチャ怖い方法なんですけど、自分でも感動するような整理をバンバン思い付いて、とっても楽しかったです。