クラシック界は厳しい(そして音楽人生を考える)

今日は、サークル仲間とは常日頃から話してる事をまとめておきたいと思います。


別に今日は動画を紹介したい訳じゃないんですけど、他の人のを挙げるのも失礼になりかねないので、自分のYouTube動画を使って例を挙げたいのですが。

以上の様に、カプースチンの演奏は高評価と低評価が半々ぐらい、ハヤテのごとく!のアレンジは高評価ばかり、となっています。


どっちの方が私のエネルギーが注がれているのかと言うと、そりゃ当然トッカティーナの方です。この時点で一年間とか練習していました。それに比べてハヤテの方は、多分アレンジと練習合わせても、10日もかかってないんじゃないかな。でも、評価はこうなるのです。


御覧の通り、クラシック曲を頑張って練習しても、世間的には大して評価されません。なんでかって言うと、クラシックなら同じように、そしてもっと上手く弾ける人が掃いて捨てる程居るからです。あと、これ重要な点ですけど、クラシックオタクというものが異様にプライドが高くて頭がおかしいから(笑)というのも実際あると思います。いや、これ別に自分の演奏に低評価付いたから文句言ってる訳じゃないですよ。私自身別にこれ低評価でもおかしくないと思っていますので良いです。ただこの問題は普遍的にそうなのです。残念な事ですけど。


ちなみにカプースチンはクラシックに含まれるのか、というとちょっとアレなんですけど、ここでは、楽譜がちゃんとあって、プロも演奏してて、たくさんの人が取り組んでて、ということでは同じと考えてください。




もうお分かりでしょうけど、私が言いたいのは、クラシック曲を弾く事を目指すのはもうやめませんか?ってことなんです。弾くのをやめませんかっていうんじゃないんです。最終目標をそこに置くのをやめませんかっていう話なんです。


一応断っておくと、これは、私の様な「中途半端なピアニスト」向けの話です。市販されているCDと同レベルで勝負できる人は、その活動は十分第一線級になるわけですから、世間から見ても価値があります。でも私自身は、いくらクラシック曲を弾いたって、世間から見た価値を提供する事は出来ない、という認識でいるのです。


そうは言っても、私が今後クラシックを弾かないとかそんな事はありません。でもきっと私が弾くとしたら、弾くこと(そして聴いてもらう事)そのものが目的なのではなく、その曲がなぜ素晴らしいのかということを考える為に弾く事になるのだと思います。あるいは、指の動きの訓練の為であったり、表現の訓練の為だったりもすると思います。実際、最近ポップス譜を弾いている時は「今鳴ってるのはrootに対して3と7の音」とかをある程度意識して弾くようになりました。


で、じゃあ何を目指すのかって言うと、やっぱり作曲や編曲だと思います(即興は作曲と演奏ということになるのかな)。でも、それって私としては自然な事だと思うのです。我々が今知っているような作曲家もまた、演奏家であり作曲家であったのですから。


以前「ピアノ奏者の憂鬱」という記事にも書きましたが、我々中途半端なピアノ経験者は、楽器を自在に操れているとは言えません。そしてそれが出来るようになる事は、簡単な道でもないけど、やってやれない事ではないと私は考えています。


それ以外にも、例えばアレンジしたものを楽譜に起こしてる人ってほとんどいないと思います。それはもちろん大変だからなんですけど(いろんな他の理由もありますけど)、逆に言うとそれをやるとアドバンテージがあるわけです。MuseScoreなんてのも今はあるので、無料でやれますよ。というか私がやろうと思ってやれてないんだが…。



ま、色々言いましたけど、軽くまとめると。
・音楽人生を長いスパンで捉えて、ずっと楽しめるよう頭を使おう
・自分なりのフロンティアを見つけて取り組もう
ってことです。芸術をやるにあたってフロンティアであるという事は、価値の面でも、やる気の面でも大事な事なのです。


ただ、何度も言うようにこれはある程度自分のピアノ演奏をしてきた人向けの話で、例えば若いうちで体の成長が続いているなら、バリバリと難曲に挑戦しておくと、長い音楽人生においてもいいってことになるわけなので、上記の話は私が自分に言い聞かせてることだと思ってもらえば結構です。


これで私が弾き語りを始めた理由も、分かってもらえるのではないかと思います。私はそうすることでようやく、コンサートの場で他の演奏者に引けを取らないコンテンツだと胸を張って出られるようになったのです。