ピアノ奏者の憂鬱

私はもう結構長い事ピアノを弾いてます。4歳からだから、始めてからの年月で言うと23年。もちろん、全然真面目に弾いてない期間が長いのであんまり当てになる数字ではありませんが、カプースチンエチュードみたいにそれなりに難しい曲を弾いたりもしています。でも、「ピアノを(結構)弾ける」と言うのは未だに抵抗があります。それは、弾いてるけど下手だとかいうこともあるにはありますが、それよりももっと重要なのは「この楽器をモノにした」という感覚が全く無い事によります。


私みたいなピアノ奏者は、ただ手に動きを覚えさせて弾いてるだけです。脳内にある音楽を表現するために手を使っているわけではないのです。今もまだ、楽器が自分と一体になったような感覚がありません。どこが変えていい音で、どこが変えてはいけない音なのかといった事も分かりません。ですからアドリブ等は全く効きません。「心のままに楽器に向かって音を紡ぐ」といったことも出来ません。それって「楽器が弾ける」とは言わないんじゃないだろうか?と思うわけです。いくら指が動いて「そんなに弾けたら楽しいだろうね」と言われても、自己評価としては「決められた通りに動かしているだけ」なのです。


しかしまあ私は作曲とかもちょいちょいしていますので、全く出来ないわけではありません。出来る事も少しはあります。でも大方のピアノ愛好会員は、上記に納得するのではないでしょうか。あるいは、ピアノは弾けるけど、ピアノ愛好会には入らなかった人は。




これが他の楽器だとどうかというと、大学からサークルに入って始めたような人も、2,3年で楽器を自分のものにするというケースは珍しくないのではないでしょうか?あるいは、管弦や吹奏に入った経験者というのは、上記の様な悩みは抱えていないのではないでしょうか?


例えば、フォルクローレサークルの後輩に話を聞いたところ、彼は大学に入ってからギターを始めたにも関わらず、M1の今では100曲ぐらいレパートリーがあるそうです。そして、正確に分かっていなくても、あるパートになんとなく参加したり出来るそうです。


バンド系の人達だって、大学から初めて、立派にアドリブとか決めてると思うわけです。実体はあんまり知りませんけど。あと私は吹奏の人に混じって演奏した事がありますけど、楽譜渡されて「はいじゃあ合わせてみようか」って感じで練習なしで合奏に入ったりします。演奏できるのは前提で、合わせとか表現とかのみを練習するのです(もちろん必要であれば、その時間以外で個人練習してるはずでしょうけど)。そもそも弾けるかどうかだけでヒーコラ言ってるピアノ奏者の感覚としては、同じ「音楽活動をしている」とはとても思えません


もちろん、それはピアノの人が無能だからという話ではありません。ピアノソロでは、合奏で実現される音を一人で表現しなければならないので、どうしたって複雑になります。ピアノは簡単に音が出せる楽器ですが、同時にたくさんの音が出せる、しかも頑張ればかなり高速に、かつ独立に出せるので、選択肢が非常に多いのです。余談ですが、私は「星に願いを」の弾き語りアレンジをした時は、「一人でバンド全部を担当するつもりで」アレンジしました。もちろん、楽器毎の得意不得意があるので、音符を反映すればいいという物ではありません。原曲の魅力がピアノで再現できないならば、ピアノなりの魅力を足してやる必要があります。




しかし今回の話題は「それにしても」という事なのです。いくらなんでも、ピアノ奏者は他の楽器奏者が普通に味わっている「音楽の楽しみ」とはかけ離れた状態で音楽活動を行っているのではないでしょうか。


なお、ピアノ奏者の中でも、それが出来てる人も居ます。そもそも耳コピがピアノ活動の主体だった人はそうですし、ジャズをやってる人も当然出来るでしょう。バンドでキーボードをやってた人も出来ると思います。面白いのは、どうやら既存のクラシックを弾いてただけのような人も、ある程度以上弾ける人はそういうこと「も」自然と出来るということです。やはり向き合ってる曲の他に、ピアノと戯れる時間が自然と発生するからでしょうか。


そうでない「普通のピアノ奏者」はなぜそうでないのか。まず、やはりソロで、ある程度映える曲は、技術的な最低ラインが高いという点があると思います。酷く単純化して言うと、同じ豪華さを出すのに、合奏で5人でやることと同じだけの事をピアノ一台でしたかったら、一人当たり5倍の複雑さになって、練習時間は5倍では足らないはずです。もちろん、合わせる時間はいらないですけど。ちなみに、別に簡単でもいい曲はたくさんあると思うのですが、上手い人が上手過ぎるせいで平均ラインが上がってるのもあると思います。


ピアノというのを「子供の頃からちゃんと習って」やってた人が多い事も関係ある気がします。親の勧めでやってて、あまり情熱が無かったとか。「あるアーティストにあこがれて夢中で弾いてた」みたいな経験をしていないピアノ弾きは多いはずです。これが他の楽器だと、物心付いてから自分の意思で「やりたい!」と思ってやったことが多いでしょう。


楽譜が充実しているというのも関係あるかもしれません。自分で創作のような事をしなくても名曲が選り取り見取りなので、それらを弾いているだけでも満足できてしまいます。これは悪い事じゃなくて良い事ですけどね。


あと、よく言うのは「ピアノ発表会」の体験に引っ張られて、人前でピアノを弾く事を「なんとかやり過ごすもの」と捉えている、ということです。それぐらい、あのピアノ発表会と言うのは、ピアノ学習者の中ではトラウマなのではないでしょうか。私だけかもしれませんが(笑)。とにかく、芸術をやる上で大切な「うぬぼれ」とか「思い上がり」とは無縁な場なのです。人前で演奏するという事は嬉しい事だという気持ちがほとんどない。あ、もちろんちゃんとやってて上手くなって、そういう域を脱した人もたくさんいると思いますけどね。しかし、大学でコンサートに出演する理由が、「そうしないと練習しないから」であるという人はたくさんいます(笑)。




さて、そういう現状を踏まえて、私はどうすることにしたかというと、「ピアノを自在に弾けるようになってしまおう」と思いました。直球の路線ですね。これまで、それは無理そうなのでなんとか別の方法でピアノを楽しもうとしてきたのですが、身近にも出来る人がたくさん居る以上、これは才能とかの問題ではなく、単にやらないだけではないかなと思うようになりました。また、身近な人の演奏を聴いてほんとに上手いなと思ったりして、自分もあんな風にピアノが弾けたらな、と、未学習者のような気持ちで憧れを抱きました。


そう、なんでそれに挑戦できないかというと、自分が既にピアノ学習者であり、今までの自分というものを知ってしまっているからだと思うのです。だからこれぐらいやったらこれぐらいの成果が上がると分かってしまっているし、自分はこんなもんだろうという気持ちが出来上がっているのです。そしてその延長線上に、上記のような事が出来る自分というのが想像できないでいる。


そういう状態を打ち破れるのは、感動や憧れといったものだと思います。久しく忘れていたそういう気持ちが、ようやく抱けたという気持ちがあります。思えば、小6でやめてしまっていたピアノを再開したのは、高校2年のときにホロヴィッツの黒鍵のエチュードを聴いたときでした。興奮して虜になって。出来るわけないと思いつつも取り組んだのは、やはりそれが好きだったからで。カプースチンのトッカティーナが弾けたのも同じだと思います。




大人になってから楽器をやるには、子供の頃からやるのとは違うアプローチが有効になると思います。子供は言語を覚えるのに、特に何か意識する必要はありません。それと同じで、子供にとっては単にそれに触れ続けるというのが有効なアプローチになりますが、大人はせっかく意識的に学ぶという事が出来るのですから、それが出来るならその方がいいはずだと思うのです。特に、私のような「普通のピアノ奏者」は、実際に大人である他に、ピアノの指の動きに関してなら一日の長があるのですから。


音楽理論についても、そんなの分かるのかよと思ったりもしますが、冷静に考えると別に他の人の方が自分より分かるだろうと思う理由も無いなと思うのです。むしろ私はそういうの得意そうではないですか。


というわけで、「自在にピアノが弾けるようになる」ことを目標に、色々頑張ってみようかなと思ったという話でした。そして、願わくば、ピアノ愛好会の他の人も、一緒にチャレンジしてくれると良いなと思います。そして、これから入ってくる人にも、「大学でこうやって練習してるうちに、こういう事が出来るようになるんだよ」みたいな事が言えるようになったらいいなあと思ってたりします。もっと言えば、カリキュラムみたいなのが確立できると良いですね。まあ、さっきも言ったように、結局「感動や憧れ」がないとどうにならないとは思いますが。




ところで、私が選んだような直球の解決法をみんなが取れないという事も当然考えられて、そういう人にもピアノの楽しみを知ってもらえるような方法を考えるのは、ピアノ愛好会というサークルの急務だと思います。上手い人がたくさん居るのは凄くいいことなので、あとはそこさえなんとかなれば言う事なしだと思うのです。


これまで言ってきた事を振り返ると、問題は、「最低ラインが高過ぎる事」とか、「本番がほとんどなくて、どれも敷居が高い事」とか「張り詰めるような緊張感の中でしか演奏した事がない事」などになると思います。


これに関しては、ピアノ愛好会とはある意味真逆で、まったく練習しない事を標榜している、あまスタの活動にヒントがあるように思います。彼らは、というか特に創設者は「とにかく目の前の人の笑顔が見たい」というモチベーションで演奏しているそうです。また、毎週のように街中で演奏し、出演するメンバーも、その日に来られる人という基準。耳なじみがある選曲や、MCでの盛り上げ。どれも参考になると思います。


あとこれはあまスタに限らない事なのですが、そんなに新しい曲なんかにぽんぽん挑戦してないんですよ。普通のサークルは持ち曲というのがあって、それを何度も披露します。同じ曲を何度も弾かないのなんて、発表会気質を引きずってるピアノ愛好会ぐらいのものです(笑)。まあ私はそう思って何度も同じ曲で出ましたけど(笑)。それはでも、多分に、「同じ場所でやるから」というのもあると思うんです。そうすると観客が同じになっちゃうじゃないですか。そういう意味でも、普段の場所以外での発表の場が必要なんだと思います。そして、同じ曲を何度も披露する事で分かる事というのもたくさんあります。


ウチのサークルでも、私が一年生のときに、小学校での訪問演奏をやったりしましたが、私はコンサートで弾いたばっかりの曲を使いましたしね。ああいう場が増えるといいんじゃないかなと思います。小学校じゃなくても、街中に出てもいいし、他にも病院とか養護施設とか、そういうものを求めている場所は結構あるのではないでしょうか。




色々言いましたが、これから新入生も入ってくる事ですし、そういう人に「自分も楽しめそう」と思ってもらえるようなサークルにピアノ愛好会がなってくれるといいな、と切に思っています。もちろん、私含む凡庸なピアノ奏者達にとってもね。