ノリアキへの賛辞

Amazonのノリアキへの秀逸な賛辞コメントが消えていたので,ネットで見つけたのを引用しておきます.

まず初めに言っておく。俺の言葉でこのアルバムの素晴らしさを半分も説明出来るなんて微塵も思ってはいない。
俺はそこまでうぬぼれていないし、バカじゃないつもりだ。だけど、言わなきゃいけないこともある。

俺は10年以上、HIPHOPのヘッズだ。自らマイカフォンを握り、今はなき六本木COREや渋谷のクラブでイベントに出ていた。
ノリアキを初めて聴いたのは5年前の夏だった。そのときは今より尖っていたから、ノリアキの奥行きを感じることが出来なかった。
PCから流れてくるチープな電子音とふざけたリリック。これは何の冗談だ? ディスってんのかビッチが! 幼い俺はそう思った。
どうでもいいけど、まだこの頃はディスだのビッチだのはヒップホップ界隈でしか使われていなかったスラングだったな。
そんで俺はそのまま彼の懐深くに飛び込むこともないまま、すっかり忘れてしまった。いや、忘れたかったのかもしれない。

そしてそれから一年後、俺は兼ねてより目をつけていたK-NERO a.k.a NORIKIYOについて調べていた。
すると何故かノリアキが引っかかった。オー、シット! 似てるけどこいつじゃねえ!
そう思いながらリターンを押そうとした。が、前聴いた曲とは違うようだ。kimi wa poison。このタイトルで興味が湧かないと言えば嘘になる。
kimiって誰だ? kimiって俺か? 俺はポイズンだったのか? それとも男どもを狂わせるナスティーな清楚系美少女か?
疑問符が頭を駆け巡るより速く、音楽が俺の部屋に広がっていった。音速よりも速い音速だ。一筋の光と言ってもいいだろう。もはや光速だ。
トラックは前のチープなものと違って、少しは考えて作られているようだった。リリックは……、素晴らしいの一言だった。
作詞は別人らしいが、これはこいつじゃないと出来ないラップだ。直観的にそう思った。曲がりなりにもMCだ、そのぐらい分かる。
俺は他の曲も聴いてみたくなって、すぐに店へと走った。乳首に目が行くのを堪える。イントロでもう理解したが、通して聴いてみた。
悔しいが、参ったよ。お手上げだ。どれも素晴らしいとしか言えない。ノリアキはノリアキでしかないように、これは傑作でしかない。
だれかおれをすきになれ、なんてふざけたタイトルと反して、とても切なくさわやかだ。まるで良質なロードムービーを観たあとのような余韻。
Father’s dayのラップは詩的かつ皮肉が利いていて良い。「俺は山形生まれファミ通育ち コントローラー奪い合ってばっかの毎日」、にやりとしない奴がいるか?
the golden songは文字通り、黄金のように色褪せない輝きを放っている。壮大なトラックは卒業式に流れていたとしても違和感はないだろう。
だがそれ以上にやさしく、あたたかく、包み込むような言葉で溢れている。ノリアキだからこそ、こんなにも響くんだ。そこらのフェイクじゃこうはいかない。

ああ、もう自分でも何を言ってるか分からないぜ。とりとめもない、でも何を言えばいいか分からないんだ。
ノリアキの前では言葉が意味を持たないのかもしれない。いつか、俺にしか言えない言葉で素晴らしさを伝えたい。
ノリアキ、また戻って来てくれよ。お前が俺や仲間たちのファンであるように、俺や仲間たちもずっとお前のファンだぜ。
お前のメモ帳に書かれた真実の言葉をまた聞かせてくれよ。お前がいない音楽界なんて、炭酸の抜け切ったぬるいジンジャーエールだ。
お前はいつまで俺たちを孤独にさせておくつもりだ? 一番腐ってる連中が蔓延ってる世界だってのは、あの大災害でよく分かったぜ。
あいつらは価値がないどころか、有害でしかないんだ。そんな奴らが一端ぶってるなんて、俺は耐えられないよ。本物が本物であるべきだ。
お前みたいな本物が今こそ必要なんだよ。真実の言葉の前には、虚飾は崩れ去るだけだ。そういう時代が来ている。みんな何となく気付き始めてるよ。
ノリアキ、お前の音楽がどれほどの人を勇気づけたと思っているんだ。時間が掛かったっていい、また立ちあがってくれよ。
それまでは俺たちが戦うぜ。自分の人生を戦うんだ。ノリアキの音楽に恥じないように、見苦しくたって戦い続ける。俺はやるよ。

それにしてもノリアキには雨が合うな。お前がいない世界では、雨の音だけが詩的だ。