「ねえ、人間って何かしら」

女「ねえ、人間って何かしら」

男「なんだい突然。そんなの色んな観点があって答えようがないだろう?」

女「じゃあ何か好きな観点でいいから言ってみてよ」

男「うーん、……じゃあ『君を美しいと思うもの』かな」

女「なんで突然お世辞が始まるの」

男「お世辞は半分かな」

女「というと?」

男「そうだな。例えば宇宙人が地球に降り立ったとするじゃない」

女「え?…まあ、はい」

男「よくそういう場面で空想の中の宇宙人は『我々は宇宙人だ』って言うけど、逆にさ、僕らが宇宙に出かけて行って、生き物のいる星に到達して知的生命体に遭遇したとして、何て言うかな。」

女「…確かに『宇宙人だ』とは言わないわね。そこで『人間だ』と言うわけ?」

男「何の捻りもなく考えねば、そうだよね。僕らは僕らを『人間』だと思ってる。僕らが想像する宇宙人も、「自分は人間だ」と思っている、と僕らは考える。人間ってそういうもの、というか言葉じゃないかな」

女「『地球から来た人間』とか『地球人』ってのはどう?」

男「まあ少し考えればそういう言い方も出てくるよね。その方が良いとは思うけど、でも、そういえば『地球』というのも、星の名前としてはちょっと客観視が足らない言い方かもね」

女「地面の球ということしか言ってなくて、他の星に住んでる人も自分の住んでるところは地面の球に決まってるということか」

男「まあ、分かんないけどね。ガス状の星で生きてる人間?宇宙人?も居るかもしれないけど。でも『金星』とか『海王星』とかに比べれば、固有名詞っぽさがないよね。そういう意味では『太陽』は地球に近い言い方かな」

女「『水の星』みたいな言い方はすることあるけど、その方がいいのかもね。水星と被るけど」

男「そうだね。あとこういう例で面白いのにね、『奈良』ってのがあるんだよ。奈良県の奈良。例えば『大阪』だったら、名前を見れば「ああ大きな坂があるところなのかな」とか思うわけじゃない。でも奈良ってなんだろうって話」

女「そんなこと言ったら奈良に限らず他も分からないのたくさんあるけど…」

男「まあ、実は僕もそうだ。僕も聞いた話だからね。んじゃ言っちゃうと、奈良ってのは、韓国語というか朝鮮語の『国』って意味なんだ。韓国語で『ウリナラ』が『我が国』だって聞いたことない?そのナラ」

女「へえ。…ということは…?」

男「ここはどこですかって尋ねたとして、当時朝鮮語を使ってた人達が、『ここは自分たちの国だ』って答えた、と考えれば分かる?」

女「あーなるほど。当時の人達にとってはそこが全てだったのね」

男「そいういうこと。こんな風に、他国との交流の際に『自分』を指すような言葉が勘違いでその人達を指すようになってしまったケースはたくさんあると思うよ」(※注)

女「ふーん」

男「そんで『人間』の話だけど、大昔の哲学者の話にもこんなのがある。『我々の神が人間の姿に似ているのは神を考えた我々が人間だからで、牛の神様は牛に似ているはずだ』」

女「言われてみれば、そりゃそうかもね」

男「だから結局人間ってのは『僕ら』ってことなんじゃないかなってこと。もちろん、じゃあ牛は自分を人間だと思ってると言う事も出来るけどね。でも僕らが人間と言う限り、それは僕らの事を指す人間だよね」

女「ふむ。じゃあ『美しいと思う』ってのは?」

男「他の動物のさ、どいつがイケメンでどいつがブサイクだとかって分かる?やっぱり同じ種族だからこそ、その差が分かるんじゃないかな」

女「私はネコをイケメンだと思ったりるするけど」

男「うーん、僕も言われてみればそんな気もしないでもないけど、それはあくまで人間の顔に脳内変換したうえでそう感じてるんじゃないかな…」

女「ま、そうかもね。で、半分はお世辞、というのは」

男「うん、だから残りはお世辞だよ」

女「………まあ、お世辞を言ってもいいぐらいの気持ちだという事は分かった」




(※注)このエッセイを書いたところ、奈良がウリナラのナラだっては間違いで、「平ら」の事を「なら」と読んだというのが語源だというご指摘をいただきました。とりあえず、エッセイの趣旨を汲んでくださればと思います