あけおめメールがなくなった年

あけましておめでとうございます.
今年もよろしくお願いします.


突然ですが,今年「あけおめメール」ってどれぐらい来ましたか?私には一斉送信のが二つ着ただけだったのですが,その話を弟にしたら「一通も来なかったな」と言っていました.別に弟に友達が居ないとかではなくて,むしろ弟は普段から携帯メールで友人とやり取りとかを良くしてる方だと思います(私は全くと言っていい程してない).姉にも聞く機会があったのですが「今年は全然来てないな」との事でした.


少ないサンプルではありますが,今年特に「あけおめメールはやめよう」みたいな運動が多く有った訳でもないのに,集団無意識的にみんながそれをやめるというのは,ほんとだったら面白い現象だなあと思います.(なお情報科の人としては,通信が集中するのでやめた方が良いとは思っています.咎める程でもないとも思ってます)


その原因があるとしたら,やはりSNSの普及なのかなあなんて思います.SNSが身近になって色んな事が変わったんだなと思う反面,現在進行形の事はそれはなかなか意識しづらいなあと思うわけですが,今年はみんなの意識や価値観が急激に変化して「あけおめメール消滅元年」になったのだ,ということをなんとなく覚えておこうと思いました.


あけおめメールというのはもちろん年賀状からの変化で生まれた物だと思いますが,考えてみると年賀状というのは友人が多いほどたくさん作ることになりますが,SNSでは書いたら一括でみんなが見てくれるという点は非常に合理的ですね.


もちろん,年賀状を送るというのは,合理性を超えた(関係の無い)物として残っているんだと思いますし,個人個人へのメッセージを書く事には意味は残っていると思いますけどね.


年賀という枠を外して考えてみると,情報を発信するのに,送りつけるより自分の所に公開しておいて,見たい人が勝手に見るというのはかなりストレスフリーで,メールはそのような方式に置き換えられない連絡だけになって行くのではないかと勝手に考えています.実際そうなってきてるかなあとは思います.例えば最近「メーリングリスト」って減ってるよね,とか.


ただまあ最近SNSに居る人ばかりを見てしまって,SNSに居ない人が意識しにくくなってるなあと実感する事もあります.昔読んだSF小話みたいなので(確か「1999年のゲームキッズ」),脳にコントローラーを入れることで社会インフラ(信号とか)にそれで自在にアクセスできるようになって非常に便利になったけど,それに適応できなかった人は排除されるみたいな未来の話がありました.


怖いような話ですが,実はそれがもう起きてる訳ですね.つまり,パソコンやスマフォを駆使してSNSに居ないと,社会的に存在していないかのように扱われる.そういう世界が到来しているわけですね.この事については(情報科の人として)本当にそれが幸せな事なのか?ということはいつも考えなきゃいけないなあと思います.


なんだか真面目な話になってしまいましたが,今年もよろしくってことで!ウェーイワンチャン!