称賛することが文化を決めていく

古代ギリシャ都市国家スパルタでは、男女とも裸だったって話を読んで思ったのですが。


私はとても貧相な()体をしているので、基本的にあまり肌を出しません。別にそんなに恥ずかしいというわけでもないですが、積極的に見せる理由もありませんので。


ここでもし肌を出すことを強制させられると、貧相な体であっても世間に晒さなくてはいけません。すると「体見せなきゃいけないならちょっと見られる体にしておこうかな」と思う人も居るはずです。私はそれでも面倒だからやらないと思いますが(笑)。ということは、薄着を強制する社会的な制度や風潮によって、人の体型への意識が上がり、またそれによって評価される機会も増えて、それで人の優劣が決まるようになっていくと考えられます。するとその点で評価される人が子孫を残しやすくなるので、そういう傾向が民族レベルで強まっていくことになりそうです。


まあ、女性にとっては、日々「体型が出る服」とか気にしてるでしょうから、見せることと努力の関係なんて当たり前なのでしょうが。よくあんなに脚出すよな〜処理の時間大変そ〜とか思ったりしてます。関係ないけど俺はマキシスカートが好きだ。


…ええと、スパルタは、そういうこと(体型を気にさせる事)を真面目に国家政策としてやったのではないかという事です。


その対極にあるのが、イスラム圏の、あの女性の外見を全部覆う服です。あの服は、顔も体型も隠してしまいますから、その中がどんなでもそれで評価されることはないわけです。ですから中の人…というか、イスラムの人達にしてみれば、あれは女性を縛りつけるものどころか、周囲の視線、女は美しくなければといったような価値観から解放するもの、なんだそうです。


仮面舞踏会で人が大胆になる、みたいなことなんでしょう。そういや、匿名のネットもそうでしたね。


見た目に限らず、例えば高校野球みたいなのを絶賛する文化が、勉強より運動する若者を生み出しているのではとかも思います。運動をする人がモテるし、勉強なんかしてもモテないし、勉強なんか誰がやるかみたいな気持ちになりますね(?)。だから高校野球が問題になる度に「よし高校野球をそもそも廃止しよう」とか僕は言ってます。実現するとは思ってないので冗談ですが。


スポーツ選手は4〜6月生まれに多くて、学者は早生まれが多いそうです。子供の頃は成長幅が大きいので、4月生まれと3月生まれのように一年ぐらいの差があれば、実力は4月生まれがかなり高く、その時の成功体験があるから、みたいな事みたいです。ここにも、「勉強なんてスポーツが出来ない奴がやる事だ」ということの裏付けがありますね。


まあしかしその後は、勉強の方が、何度もテストあるし、しかも全員強制で受けさせられるし、「あーこれ真面目に取り組まなきゃいかんのか…」と思わせるものなんでしょうね。


特にオチ考えずに書き始めたのですが、まあなんだ、自分が何かを称賛しているときに、それがどういう価値観を肯定し強化しているのか、意識するといいんじゃないかみたいなお話でした。