組織の都合と個人の都合

よく組織運営の考え方として、「誰か一人が居なくなっても回るようになっていないといけない」と言ったりするのを聞くのですが、それってまあまず組織のためにはそうじゃないですか。他にも、休暇を取れるなら取りたい構成員にとってもそうなってた方が良いですよね。でも、その「居ないと回らない」人がもし、「居ないと回らない人だと思われている」ことに幸せを感じているとしたら、その幸せを取り上げる権利はあるんでしょうか?


もっと現実的な例で言えば、ある自分だけが持っているスキルがあるから職を得ている人に対して、「お前が居なくなって出来なくなるのは困るから周りの人に教えろ」と言うのは、かなり「組織の論理」ですよね。本人は、同僚に自分の立場を脅かされない絶対の安心がないとそれは出来ないし、やれと言うなら対価を求めるのが普通なのでは?と思ったりします。


もうちょっとふざけた例で言えば、私みたいに長い間大学サークルとかに居て、私だけが知っていることがあるから私が重宝されているとして(別にそんな事実はないと思いますが)、それで私が後輩と仲良くできているとして、私が全部知っていることをアウトプットしたら私が要らなくなると分かってたら、果たして私はアウトプットするでしょうか?いや、全然後輩に追い出されそうとかそういう事実はないんですけど、例えばの話で。


以前、人の意見はそもそもすべてポジショントークだなんて文章を書いて、今でもそうだなあと思ってるんですが、要は、「組織とはこうでなければならぬ、そしてそうしていないお前は馬鹿だ」と言うのは、ポジショントークだという自覚はあった方が良いのではないかなあというお話でした。すべてはポジショントークだってことは、ポジショントークだから悪いんじゃないんですけど、自覚的でないのは良くないよねってことです。