仕事が出来るけど嫌われる人達

仕事がとてもよくできるけど周りに嫌われる人たちは、何がよくないのかなあと最近ときどき考える。

いろいろぐるぐると考えて、結局はものの言い方だけの問題なのかもしれんなと思った。

「まだそんなこと言ってんのかというのか」というのが正直な感想ですかね…。とりあえずみんな「iwatamの何でもコラム」を読み返すと良いと思うよ…。

正しいことを言われてるのに「そんな言い方しなくてもいいじゃない!」って受け入れないのは自分のためにならないと思う。

そこに議論の余地があるという感覚がむしろ驚き。


「ものの言い方が全て」って言う人は、他人を人間として見てません。自分と同じように、考えも悩みもする人間だと言うことが分かってません。あるいは、自分も、向けられてる愛情や、あるいは軽蔑の心があろうと、「褒めてくれてさえいれば全肯定する」ような浅ましい人間であり、その他の人もそうであると思っていると言うことだと自覚して下さい。


おだてられたら嬉しいのがそういう人達で、まともな人やまともな私は、おだてられたら「気持ち悪い」と感じます。おだてるってのは、本心と違うけど褒めるってことね。会ったばっかりの些細な出来事で「優しいね」とか言われて「そんな短期間で分かるわけねえだろ」とムッとするのがまともです(?)。




さて、仕事ができるのに嫌われる人の原因の話。まず、そういう人は、周りに嫌われている以上に、周りの人を嫌っています。それが態度に出ます。よって嫌われます。私はその流れ自体に不自然なところはないと思います。仕事が出来る人には、そうでない人を嫌う「正当な理由」があります。「みんな同じだけやってくれれば自分はもうちょっと楽になるのに」って言われて、反論出来ますか?逆に、「あんなに仕事できる人がいなければ自分のダメさが目立つことないのに」って言われて、許せますか?どちらが「正当な嫌う理由」かということは明白です。


ここでポイントは、「どっちも言わないのがマナー」だということです。能力差が有る以上、潜在的に軋轢が発生するのは避けられません。ただし、一緒に協力して仕事をこなす仲間なわけですから、基本的には仲良くしないと立ちゆきません。手を抜いてたらそれは怒るべきですが、手を抜いてるか抜いてないかは自己申告で、基本的に皆手を抜いてない前提で仕事をしてるはずだからです。


「みんな同じだけやってくれれば自分はもうちょっと楽になるのに」というのは、反論出来ない理由だと書きました。反論出来ないことをわざわざ言う目的というのはなんでしょう?反論出来ないというか、言う方も言われる方も分かってることですよね。それは攻撃によるストレス解消です。はっきり言って幼稚な行為です。しかし、それを我慢するのは並大抵の事ではないと考えるべきです。「正当な不満」なのですから。


正当な不満ですが、我慢するのがマナーという環境なので、マナー違反を犯すと、元々あった軋轢がここぞとばかりに発現します。「あいつが先に手を出したんだから」というのを盾にして、「不当な不満」までぶつけ始めます。それは、仕事が出来る人が見せてしまった幼稚さとは比べ物にならないほどの幼稚さなのですが、そこを顧みる人は少ないようです。


そこから先、仕事が出来る人の道は、「悟り」なくしては進展はありません。


確かなことは、その状況を決めるのは、仕事ができる方だということです。無能な方は、その状況を嘆いたり分析したりして優越感に浸ってるのかも知れませんが、解決は、「仕事が出来て協力的な関係を作れる」人が上に立つことしかあり得ません。無能な方が何を言っても大勢に影響を及ぼすことは出来ません。「お前なら上手くやれるというなら、はやく上に立てよ」ということです。



(追記 2009/10/25)

ラストの一節は,見直すと,これは「攻撃によるストレス発散」でした.まあでも自分の恥を残しておきます.