「正義の人が嫌い」って真に受けちゃいかんよ

「正義の人が嫌い」っていう物言いを良く見かける訳なんですけど。あれは、もともと正義ってのは良い物だって思ってる人がアンチテーゼとして言い出したものであって、それを当然のものとして捉えちゃあかんのですよ?


例えばこんなことを言ってるのを良く見ます。

正義は悪を倒すのになんの罪悪感も感じない

自分を正義だと思い込んでる奴は人の話を聞かない(だから正義は怖い)

本当にそうでしょうか?そんなものがあなたの考える「正義」でしょうか?そうだとして、悪であれば人に迷惑をかけないとでもいうのですか?


正義ってのは、言葉の意味として善いということを含んでいるわけです。だから、迷惑な事はそもそも正義ではないわけです。そういうことを考えるためのアンチテーゼなのです。「あなたが考える正義は人に迷惑をかけていませんか?」という投げかけです。そこで終わってはいけない。テーゼとアンチテーゼの双方に矛盾しない結論を導き出して、自分の中の正義を再定義して、正義とは関係ない部分を正義と呼ぶのをやめないといけない。


そういう、テーゼとアンチテーゼを、同時にちゃんと説明できるテーゼの事を「ジンテーゼ」といいます。自力でアンチテーゼを唱えられるようになるのは、だいたい中学生ぐらいです。なので、中二病というものが発生するのです。中二病というのは、アンチテーゼを出せるけども、そこで満足してジンテーゼを導かない人の事です。アンチテーゼを出せないよりは出せる方がいいのですが。


この前の、大人と子供と常識の話でも出てきましたが、常識の方を先に教えてからでないと、難しい事を言っても、常識を疑うのではなく、非常識の方が常識なのかと思ってしまいます。子供には「正義を貫け」とまずは言わなくてはいけない。そして、そうやって生きようとして上手く行かなくなった時に考えなきゃいけなくなるのが、今回話題にしたようなアンチテーゼの部分です。もしもアンチテーゼを最初に見たら、「じゃあ正義を貫かなくていいんだな」で終わってしまいます。そうではなく、「正義を貫きたい」というテーゼを了解している人にだけ、このアンチテーゼは考える価値を与るのです。

悪人礼賛

ところで、善と悪を扱った「悪人礼賛」というエッセイが、高校の時の教科書に載っていたのを今でも覚えている。そして、ググってみたら…案の定、悪人を礼賛している人がたくさん居たのであった…。本文の後の解説に「帰謬法を使った皮肉」って説明してあったじゃんかよ…。