「僕が一番欲しかったもの」は結婚式ソングじゃないだろう

前々から言っているのだが,槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」は結婚式ソングとしては相応しくないと思う.これを結婚式ソングに採用する人は,この曲の歌詞をちゃんと読んだ(聴いた)んだろうか?と疑ってしまう.

そんななかこのニュースだ.なんと一位.そんなバカな.そしてマッキー本人も

「『僕が一番欲しかったもの』がウェディングソングとして、多くの方に選んで頂けたこと、本当にうれしく思います。またみなさんに選んで頂けるよう、これからも曲作りに励みたいと思います。」── 槇原敬之

とか言ってる.非常に残念だ(笑).大人の対応なのかマジで言ってるのか分からないけど.


もしこの曲を結婚式に採用した人が,「一番欲しかったもの」を,結婚相手の事だと思って使っているなら,これはもう盛大に間違っている.もしかしてその意味ではなく,参列してくれている人達の事だと思っているならまだマシだが,それでもこの曲は,みんなが幸せだと思って見てくれてる時に歌う歌じゃないだろう.本当に人生の中でも一番辛い時に聴くような歌だ.まだ葬式の方が分かる.これは「すべてを失った時の歌」なのだ.

この曲は最後で言っている.何か具体的な物を持っているとかじゃなくて,自分がみんなを幸せにしてきたって事が,何よりも大事な事なんだと.みんなの笑顔が一番欲しいものだったんだと.というか,本当にそれ以外のメッセージはないというか,他の読み取りようがないだろ.それを具体的に何かを得た時に言っちゃったら,伝わるものも伝わらんのだよ.