暗記科目は本来は暗記科目ではない

筑波大の共通情報処理の、実習じゃなくて講義の方について、私は情報の専門の学科だったので共通のは受けたことないのですが、後輩に試験問題を見せてもらうと、情報学類でも3年ぐらいにならないと習わないような事が書いてあって、こんなの難し過ぎて他の学部の一年生に理解できる訳がないと感じました。だからこれは理解せずに暗記するしかないんだろうなあと思ったのですが、この「理解できないと暗記するしかない」というのは、言葉を変えると、暗記するしかないということは、その教わるべき知識が出てくる経緯などを説明できないからこそ暗記するしかないわけなので、おおよそどんな勉強も、究極的には暗記ではない理解があるとも言えるのではないかと考えました。


例えば中学の歴史と数学を比べて「歴史は暗記科目」と言うことがありますが、これはある意味では正しくある意味では正しくなくて、実体としては暗記せざるを得ない科目になってしまっているから暗記科目なんですが、歴史というものがそもそも暗記科目だというわけではないはずだということです。結果に至る要因や流れを見出すのが歴史を学ぶことなのに、教える範囲が広すぎて、それをするには時間が無いので、歴史が暗記科目になっているのではないか。これは、情報処理講義の内容が他学の学生にとって難し過ぎて暗記科目になる事と質的には同じ事だと思います。


昔より本を読むようになったのですが、随分文量を読んだなと思っても、そこで述べられていたことを歴史の教科書のページ数に換算すると1ページぐらいしかないのでは、と思ったりします。逆に言うと、歴史の教科書や資料集に書いてあることを本当に理解しようと思ったら、1ページ分を理解するのに新書一冊ぐらいは読むべきなんじゃないかと思ったりしていますし、本当のところはいくら読んでも足りない気持ちがあります。


他の教科の、例えば数学の教科書に書かれていることは、そこに書かれていること自体を学んでテストを受けて、テストで問題が解ければ理解できていると概ね言えそうですが、おそらく歴史は理解できたと言えるハードルが数学よりはかなり高いのではないかと思います。そういう意味では、同じタイミングに習うものとしては歴史の方が難しい科目ではあるものの、テストの点が他の教科とかけ離れたようにならないようにしているという都合によって、暗記科目になっているというのが現状なのだと思います。


ということで、「理解できないと暗記科目になる」ということは、そもそも「暗記科目」な科目があるわけではない、というお話でした。